俄か雨

しがないバンギャルのたわごと

晴れた終わり

タイトルは好きなんだけど曲自体は言うほど好きじゃないんだ実は

いっつも雨を降らせてきたのにこういう日に限って快晴とか意味わからなくないですか???

ギルガメッシュの解散ライブでした。

あっけらかんと今日の空みたいだった。完璧なツアーファイナルだった。なんで次のリリースと次のツアーの告知がないんだろう?と思った。
でも、本当は、とっても重かったんだなあ。
メドレーを入れたら40曲くらいやったらしくてくたくたです。寝ます。

【ネタバレ無/タイトル詐欺気味】デッドプールを見に行った話、あるいは第四の壁

最近ジャニヲタさんと若手俳優のおたくの方たちのブログをよく読みます。応援スタンス系の記事が最近はやっているらしくて面白いので、検索掛けたりして気になった人を読者登録に突っ込んで継続的に読んだりしている。実に面白い。

んで一つ俳優系のひとたちですげえなって思ったのが、みんなナチュラルに高額差し入れ(服とか身に着けられるもの系が結構多い)を貢ぎと呼ぶのな…。貢ぎもしくはお貢ぎというタームをよく見かけた。まあ実際やってることは貢ぎなんですが。バンギャル界隈でも物蜜*1みたいな人は普通にいる。し、好きな人推してる人にクレクレされたら買いたくなる気持ちもわかる…。残念ながら消耗品くらいしかやったことはないですが。あと誕生日でもないのに万単位のプレゼントってちょっとどうなのって思ってしまうので…。

そういう話はまた後日改めてします。さて本題。
先日デッドプールを友人と見に行きました。某人(もう面倒くさいのでこの表記)が仕事での海外渡航中に飛行機の中で3周くらいしたらしく、交際相手含むマーベル山の住民たちが散々見たいのなんのと言ってたのを聞いてた身としてはやっぱり見ておくか…と思いながら重い腰を上げようとしたら、ゲーム実況か何かで興味を持ってたらしい友人(某人の被り同士、いわゆる同担/厨同士の友達。何故か私のことを気に入ってくれていて、ライブない日に時々飲みに行ったりする。平成生まれ(=めちゃくちゃ年下。よくよく考えたら8歳くらい違うのでは…?)の非常に面白い子)がそれなら一緒に行きませんかと声をかけてくれて、決行するに至ったという寸法です。

映画自体は普通に面白かったので、その感想はここでは割愛します。面白かったからみんなたちも見に行こう。
タイトルの半分をここで終わらせるという暴挙。


さて表題にもした第四の壁とはなんぞや。

第四の壁 - Wikipedia

まあ要するに舞台の上と観客席の間にある不可視の壁というアレです。

上記のwiki見てもお分かりの通り、デッドプールはそもそも第四の壁を破れるキャラクターとして位置づけられている。映画内でも観客に語りかけるシーンのみならず、他の登場人物との間で「待てよ今観客に状況を説明してんだから」的な言及もある。自分がフィクションのキャラクターであることを自覚して行動している(という筋書きの)キャラクターである。

こういうメタ発言をするキャラクターとかは結構面白がるタイプなんですが、でも実際各種舞台の上から横行する密やかな壁破りにはちょっと眉をひそめることが多かったので(それが例え自分に宛てられたものだとしても)、その差はなんだろうと前々から考えてたのですが、月曜にうっすら出した結論は「自覚的か否か」だろうなーと。演出として必要か否か、と言い換えてもいいかも。

いやーまあ自分自身も嬉しくないと言えばそれは嘘なんですが。某人は最近そうでもないけど昔はそこそこ構う人で、(多分今も出席確認自体はしてるんだろうけどあまり露骨にやらなくなったなーと思ってる)経験あるのはセットリスト手渡しで貰ったりペットボトル狙い投げしてもらったはずが取り損ねてあからさまにすっごい苦笑されたりどうも狙い投げしてもらったようなのに取り逃したりとかまあそういう些細なところでですね…。
…しかし狙い投げされるの向いてなさすぎだな。逆に他のメンバーさんの狙い投げ取っちゃって気まずかったこともあるしな。うっかり取ってから気付くと気まずいのでほんとやめてほしい。NO MORE誤爆狙い投げ。


閑話休題
客席をやたら構いたがる演者というのはどこの世界にも、それこそ舞台だろうがバンドのステージだろうがアイドル現場だろうが、どこにでもいる。お笑いとかのライブでもあるのかな。あるんだろうな。行ったことないのでわかりませんが、多分ね。
バンド系だと結構実例には事欠かないんですが、客席弄りとしてではなく特定の客構いまくるバンドってびっくりするくらいいるけどどれもびっくりするくらい売れてないよな…。バンド名は出しませんが、例えば10代後半からやってて十何年のキャリアがあり、そこそこ大きなハコでもやってるはずなのにどこもいまいち売り切れたみたいな話を聞かないまま結局解散したとか。これまた10代後半からメンバーも変わらずやってて十何年のキャリアがあり、あちこちのイベントに出まくっているのに下北の小箱も結局はワンマンで売り切れなくて後方は関係者枠で入ってそうな友達のバンドマンばっかりとか。前者がV系で後者がロキノンです。だから本当にジャンル問わず。どっちも対バンとかでちょいちょい見るところだったのですが、そういうのって輪の中にいると意外と気付きにくいけど傍で見てると結構目につくのよな…。

例えば自分を認識してないステージ上の人とその人に構われているお客さん、それ自体は「お、おう」で済んでしまうことなんだけども(自分と一ミリも関係がないから)、その人に対する印象は「一瞬でも人前でステージ上の時間の私物化をする人なんだな」っていうものにはなると思う。
例えば自分の推しが客演で行った舞台で、初めて見る俳優さんがその人の推しと思われる最前の子にファンサしてたとか、対バンで初めて見たバンドのメンバーが前方または柵とか壁際のとこにいるような特定の客を構っているとか。アイドル現場だとうまく想像できないですけど。明確に客にレスするタイミングではないようなところで特定のヲタに意味ありげな視線を送ってたりするんだろうか。まあそんな感じを想像してみてほしいです。自分がされたらその一瞬は当然嬉しいしそれが目的になってるなら満足して帰れるだろうけど、そうでなければ違和感も湧いてくるんじゃないかなと思います。少なくとも私はね。
当然ながらそれが自分の本命だとか自分を認識してる相手だとか知らんギャだとか被り同士だとか、そういう間柄になってくるとそこに人間関係とか嫉妬とかそういう気まずさが入ってくるので更に話がややこしくなる、というのは想像に難くない。


そこで冒頭の仮説、自覚的か否か、に戻る。ほんとに何の気なしに自覚的か、という言葉を用いたのだけど、何に対して自覚的なのかと言われたらそれは自分のいまやってることに対して、だと思う。壁破りじゃないです。ステージの上にいるということ。換言すればプロ意識とかそういうものかもしれない。
だってステージの上の時間を私物化するような人がプロ意識高いとはお世辞にも思わないでしょ。他のところを頑張ったところで、そういう甘さは言動にやっぱり現れる。


個人的には、バンド系だとぎりぎりの許容ラインがその終演後の餌撒きタイム*2 かなあという気はする。でもカーテンコールも立ち位置的にはこの時間に近そうだけど、そこであったらどう思うんだろう。なんか気持ち悪いと思いそうだなあ。わたしいわゆる若手俳優系とか2.5とかはそんなに見に行かなくて学生時代の友人の舞台とかの方が多いので余計にそう思うのかもしれないけども。

これが女子アイドル現場とかだとまた違うのかなあ。客席へのレス自体が文化になってる感じも見聞きするかぎりあるけども。女子アイドル現場にそこまで行ったことがない(ゼロではないけど特殊な現場ばっかりだった)のでいまいちわかりません。



結論としては、まあやりたければやればいいけど自覚は持とうな、というところでしょうか。

*1:蜜(貢ぎさん)は金銭を貢ぐ人のことっていう印象がある

*2:使用済みピックやスティックやその日のセットリストや飲みかけのペットボトルやなんやを客席に投げ込むサービスタイム。前方の客とハイタッチしたりする人もいる

【多分ネタバレ】初めて及川光博さんのワンマンショーに行った話

バンギャルって割とネタバレどんとこいみたいな人が多いので(公演が間空いてたりするからセトリ組み替えたりする余裕もあったりするし、そんなにMCとか演出も凝ってなくてご当地ネタをちらっと話したりするくらいなのでむしろ情報は積極的に共有してくださいみたいな人が多い)、ネタバレの基準が甘くなっている可能性があるのでその辺は必要があれば各自で自衛していただけたらと思います。あと18日の公演は撮影入ってたので、何らかの形で映像になるんじゃないでしょうか。


断り文句が長い。では本題。


母と妹と3人で、「及川光博ワンマンショーツアー Punch-Drunk Love」@神奈川県民ホールに行ってまいりました。
このアルバムの発売イベントが3月だか4月に川崎のラゾーナであって、それを見に行ったところ「いつか見に行きたいねといってたミッチーのワンマンショー、今こそ実現する時なのでは!?」みたいなテンションになり、一般発売でめでたくチケットを手に入れたのでした。取った後に、その日はシネマスタッフのツアーファイナルの日だということに気づきましたがそこは見なかったことにし…。
「死んでもいい」でポンポンを振ることはかなり昔から知っていて(家のVHSの山を漁れば流星光一郎先生の振り付け講座の映像がまだあるんじゃなかろうか。PUFFYの番組じゃなかったかな)、グッズを見たらペンライトがあったので「よしこれも買って振ろう!」と盛り上がり15時に始まる物販に間に合うように向かったのでした。

ポンポンとライトの実物がこちら。ライトは1800円、ポンポンは1000円します。お姉様方が多いところの価格感はありますがムックもシュシュ1000円とか1500円とかで売ってた記憶があるのでまあそんなもんですかね…。ちなみに花柄のシュシュは1300円でした。
今回アルバムも花柄、ミッチーも花柄のスーツをお召しになっている、ということもあってグッズも花柄のシュシュやポーチ、客席も花柄のお洋服の方が多くて華やかでした…。何か花柄を身につけていけばよかった。
物販の会社はライブの物販とかを請け負ってる会社(昔派遣で登録してたことがある)で、結構人数もいたのでさくさくでした。

そして入場ですが、私はこの時にようやく気がついた、この人数を30分で入れようとしていることに…。
えっ…ここはエリアでもシェルターでもないですけど…キャパ2300ですけど…大丈夫?
そんな私の心配をよそにどんどん列に並んでさくさく入場していく人たち。よくよく見たら皆さん早々に着席してポンポンを作成している。それはさっさと入って座りたいわ…。納得。

開演前の影アナもすごい。世界観作り上げてる…。ときめきスイッチってなんですか?私が知ってるのはやる気スイッチくらいです。よく行方不明になると噂のアレ。

で開演。しょっぱなからバラ色の人生(よく知ってる)だったのでまず心を持って行かれたのですが、全編通しての感想が、とにかくよく動く…。そこらへんのおとなしいギターロックよりもはるかに動く…。第1部と第2部の間に15分休憩があったり愛と哲学の小部屋というミッチーのトークコーナーがあるのですが、それ以外のかなりの時間をステージの上で踊っているミッチーとダンサーのおねえさん…。客席もそれを見て踊る踊る…。
割と初めて見た動きでも2番の半ばくらいからは割と適応してることでおなじみのバンギャル、私もいちおう15年ほどバンギャルやっていますのでそんなに適応力が低いわけではないのですが、それでも動きがわからない…。振り付けなんですが、ただ手だけ動かしてるんじゃないんです。ダンス。まさにダンス。あれは無理だ…。ただ割とパターンは似てるので(振り付けやってるひとがすきなパターンの動きがあるなあという感じ)、2曲3曲覚えられれば割と応用はきくのではないかなと思いました。

ダンサーのおねえさん。ラゾーナのイベントでは「パンチラガールズ」と紹介されていたのですが、まだ名前はパンチラガールズでいいのだろうか。ひとりが動きのキレがいい感じの方で、もうひとりが手足の長さを存分に使ってる感じの動き方をする方で。対比が見てて面白かったです。意図して選んだのだとしたらすごいな…。

なぜパンチラかというと「パンチ」ドランク「ラ」ブという話らしいのですが、当初はパンドラ(「パン」チ「ドラ」ンクラブ…もしかしたら「ド」ランク「ラ」ブ、かも)ツアーにしようと思ったとのこと。でもお客さんたちがパンチラパンチラ言い始めて…と。

あと、ファンタスティックス(バンド)の皆さんもひとりひとり紹介をして、挨拶のパートもちゃんとあって、見せ場とかでは動ける楽器の人(階段の上にいたラッパ系のかたがた)が降りてきたり、と、ツアーのタイトル「及川光博&ファンタスティックス」でもいいんじゃないこれ?と思った程度にはただのバックバンドという感がなくて、一緒にツアーを回って一緒にグルーヴを高めているんだなというのが伝わってきました。

ファンタスティックスといえば、昔映像を見たときに目にしていた理枝ベイベー(コーラスのおねえさん)、物販の時に理枝さんのバンドの告知のカードをもらい、「まだコーラスされてるんだ!」とテンション上がりました。どうやら一時期おやすみされてたそうなのですが、最近というか、今ツアーから復帰されたとかで。

MCはというと客席いじるの上手いですね…。「3階ベイベー!」から始まって2階、1階後方、真ん中ときて「1階前ベイベー!」まで細かく声をかけていくんですが、これだけ細かく呼びかけされたらなんとなく自分のいるあたりを意識してくれてるんだなーと思えて嬉しいだろうなと思いました。最後列の人たちにも一度呼びかけたしね。というか、まず3階ベイベーから始めるその徹底っぷり。やっぱり何だかんだ女性のお客さんが多いので、誰かを取り立てて贔屓しないように、でも大人数まとめてではなく丁寧に接してるんだなーというのが見えてすごく素敵だなと思いました。男子(ベイベーの対になる言葉)もそこそこいるのですが。愛と哲学の小部屋でも男子の投稿が読まれてたな。

MCに入る前後とか、ちょいちょい後ろを向いて髪を整えたりお粉かな?そういうしぐさをするのが見えるのですが(そこでオペラグラスを借りなかったので細かくは見えてないのですが)、美意識がすごいなーと最初思ったのですが(要はこまめに直すから素敵なミッチーを見てねということで)、そのお直しのしぐさそのものがショーの世界というかミッチーのキャラというか世界観というか、そういうものにはまった行動であるなと思いなおしました。うまく説明できないので後から追記します。
ついでにMCなんですけど、ネタバレを避けた感じで書くと横浜で昔アルバイトをしていたころの話とか、ご当地ネタが結構ありました。地元民的には嬉しい。

立ちっぱなしのコンサートに慣れてない母が途中足を痛めて大変そうだったのですが、MC中に「座ってもいいよ」と声をかけていたり、さらに途中休憩もあったので案外なんとかなった模様。休憩中に娘たちもたまにやる「フライヤーを敷いて靴を脱いで立つ」を実践してました。(私はよく日比谷の野音とかでやっていた。)

愛と哲学の小部屋というトークのコーナーがあって、事前に集めた質問用紙(バンギャル諸姉はインストアイベントで配られる質問用紙をA4サイズにしたものを想像して下さい)を任意に箱から引いて、それを読み上げて質問や悩み相談に答えていくというもの。男子の質問やちょうどこの日からミッチー出演シーンがOAになり始めた朝ドラの話など、いろいろありました。覚えてる範囲でかるーく書きますが、もし書いたらNGみたいな暗黙の了解がありましたら先輩ベイベー方ご教示いただければ。。。

・怒られるとすぐ泣いてしまうのを直したい。
→感情を抑える必要はないけど、3分間我慢してみよう、すぐ泣いちゃってたなら、皆の前で泣くんじゃなく(泣けば済むと思ってると思われることもあるし)3分だけ我慢して一人になって泣いてみよう。腹が立ったときとかも。

・人生に必要なもの(いくつかあったんですけど忘れた)に追加するなら
→冒険心(かっこいい)

・自分の人生にタイトルをつけるなら
→ときめきの伝道師

・五反田一郎さんの見どころ
コスプレ的な意味ではゲートル

愛と哲学の小部屋に限らずなんですけど、「男は笑って\聞き上手/」というC&Rが何度かあったのですが、これを常々言っているとしたら本当に女心をよく心得ていらっしゃる…。

あとトークについての感想なんですが、結構下ネタというかおっさんな発言もあるのですが(eg:「浴衣女子がお風呂に行くタイミング」)、それがそこまでいやらしく聞こえない辺り育ち出てるなあと思いました。一般庶民には真似できない。王子様とはいえデビュー時に載ってたMyojoのキャッチコピーが歌うイメクラくんだったのいまだに覚えてるんですけども(中学入るかそこらでした)(まだマラボーとかなんか巻いてた時代…)、曲もそうだけど妖しげな雰囲気がありながら淫靡に過ぎなくて、バランス感覚を感じます。

総合して3時間(休憩等々込みでもこの時間…!)を終えた感想は、「世界観一ミリたりともぶれてねえ…ときめきスイッチ押されっぱなしだ…半端ねえ…」でした。そこらへんのテーマパーク並に作りこまれていて、夢と魔法のホニャララとまでは言いませんが非常によく練られたエンターテイメントショーでした。周りのベイベーさんたちもお祈りポーズ状態になってる方ちょいちょいいらしたのですが、我々3人とも割と目がハートになってた自覚がある。
年1とかでもいいから、またツアーの横浜か都内公演の日がうまいこと空けられたら行きたいねーと目をキラキラさせながら帰路についたのでした。

んで家に帰ってFCの概要読んでたんですけど、偶数月に会報って書いてあって衝撃を受けました。年6回も…?そんな世界線がこの世にあるのか。世には年4回と銘打っておきながら年に3回会報が来ればいい方とか、2号分まとめてDVD会報にして送ってきたりとかそんなFCもいくらでもあるのに…。それでいて年会費5000円(初年度は入会金1000円で計6000円)だなんて…。そしてどうもFC旅行があって(国内)、しかもそれがツーショット撮影会もあり宴会もある、自分もたまに参加するような形式のアレのような気配を感じるのですが、なかなかミッチーとよくあるFC旅行という概念が結びつかなくてつらい。ツーショット撮るってなったら固まりそうだ。

【ネタバレ有】刀剣乱舞ステージのライブビューイングを見に行きました

千龝楽公演の終演後だと思って全力でネタバレしてますので、DVDまで待ちたい方はスルー推奨。


2.5次元舞台自体が初めてだったのでとても様々な意味で面白かったです。

ステージだというのに突然歌い出して何事かと思いましたが、アニメでちょうど最初の掴みが終わってOPが流れるタイミングだなーと思ったので、要するにアニメの構成とかそういうものにより近しいんだなと思えたので序盤から違和感なく見れました。炎や血の表現としての映像とかも、ライブの演出ぽいなと思ったらそれはそれでありだなと思ったし。ただ漫画の四角囲みの説明書き的な役割の後ろのテロップは最初戸惑いました。それこそ地の文というか狂言回しの語りで解決すべきことなのでは?「出陣の儀」の文字なんて、それこそ第一部隊隊長が「出陣に際し儀を執り行う」とでも一言かければすむ話じゃないか…とも。ここまで説明口調にせんでも、「いつものあれやるぞ」みたいな声掛けからのあの名乗りをやれば、ああこれ出陣前の恒例なのね、って分かるようなもんだと思うんだがなあ。うまくすれば近侍としての山姥切の成長度合いとか、三日月と山姥切の関係性とかにもふみこめるし。うーん。
話を戻して、OPといえば歌自体もうまかったしな…。兄様役の方がめちゃくちゃ歌上手い方だと聞いたので、そういうのを生かせるのもとてもいいと思った。
しかしミュも見た人からは「こっちのほうが歌が上手い」と聞いてしまって、ミュージカルとは…。
あと、殺陣、よかったです。実写というか、立ち絵ではなくアニメや三次元にまず何を期待するかといえば、好きなキャラが動いてる!話してる!生活してる!戦ってる!というところだと思うので。得物が長い人たちは期待を裏切らない感じで、短刀勢もよかったです。小夜はなんかアクションうまそうだなーというか(ゲーム中ではそこまで俊敏なキャラではないのはさておいて)全身使ってる感じがよくて、織田勢は真剣必殺出てから以降の立ち回りが個人的な好みとしてはよかったです。特に薬研、前半は前半で無駄な動きなくうまく力を受け流している感じがあってそれはそれでよかったのですが、好みとして派手な立ち回りが好きなので。せっかく舞台に高さがあるんだから、誰か上から下に飛び降りてアクションして欲しいなと思ってましたが、不動がそれをやってくれたので満足です。さすがに燭台切が出てこれる程度の高さがあるところなので階段の途中からでしたが。
全体的に、キャラが好きな層が「この役者さん、このキャラのことわかってない!」みたいに思いそうというところがなかったですね。いやガチ推しの人からしたら「○○はそんなこと言わない」があるのかもしれないけど、自分からしたら、キャラについてよく研究してる、役作りしっかりやってるんだなーという感想。薬研はイケメン度カンストしてたし三日月はつかみどころがないし所作がよかったし鶴はコメディリリーフ的なところも鶴沼民が惚れ込んでると噂の意外と男前なところも出ていた感じがあった。若干鼻眼鏡かけてそうだったし光忠はオカンみあったけども。喋り方というか声も結構声優さんの声に寄せて喋ってるのかな?と思いました。あるいはそういう声質の人を探したか。

末満氏の脚本については、一部ドロドロを期待してた勢から拍子抜けしたような感想を聞いてたので、考察勢的にはあんまり面白くないけど普通にキャラのファン、ゲームのファンが楽しめるような感じなんだろうなと思って見てました。まあだいたい予想通りで、ゲーム世界の番外編みたいな感じ、という印象。よく言えば回想に近しいものというか、新たな回想の形。公式に近いところからこの回想めいた脚本が出たということで、織田勢の回想を待ち望んでいた人たちが一番楽しく見れたんじゃないかなあ。特にこの舞台で明かされる新事実というのもなく(例えばこの公演が始まってからの情報解禁である細川回想において、小夜は歌仙からお小夜と呼ばれていることが明かされましたが、この舞台の中で兄からお小夜呼びされていたことが伏線のひとつだったんじゃないかという考察がツイッター見てたら流れてきましたが、そういう風に今後明かされることの伏線的なものはあるかもしれません、が、それはその時が来てみないと分からない)、その意味では拍子抜け感はありましたが、掘り下げという意味ではとても面白かった。

あと序盤に、あの本丸の宗三左文字はカンストしてると思いましたが、紅白戦から先で考えを改めました。宗三含め、不動以外の織田勢は極が実装されている。
終演後に、チケット譲ってくれた方と話してたのですが、ゲーム中でのステを念頭においたら、演練であのカードあったら確実に織田勢+山姥切チームが瞬殺されるだろうと…。短刀二人(状況的に不動はかなり練度が低そう)と打刀さいよわというハンデを抱え、レア4の鶴丸にしたってピーキーすぎて、3スロ太刀3人と、足は遅いものの刀種の中では打撃が高い太刀と短刀、それに脇差1人、という面子を並べられたら割と瞬殺の未来しか見えない。それが互角に打ち合えてる時点でかなりレベルの差がある…。
でも京都の展示で実物を見たとき、めっちゃいかついやん!と思ったので(なんでゲームではあんな細っこい未亡人みあるキャラになっているのか謎に思えてきたくらい)、そういう意味では本体に近いなと思った。実物を見たとき、これ普通に峰打ちでも人倒せるよねって話をしていたので、あの本体に末満本丸の宗三ならむしろ物理で和睦する勢に入れるかもしれない。

あと話題のおやつシーン。長谷部が喋れなくなってたのはともかく山姥切が完全にツボに入ってしまっていてどうすんだこれと思いましたが、後々鶴とかがおはぎの宴ネタをちょいちょいぶっ込んできていて、アドリブきいてるねえと思いました。良い。

あとカーテンコールは、光秀とそこから右に並んでた方たちがこういう場で話慣れしてるんだろうなという感じで安心して見ていられて楽しかったです。特に光秀役の方、隣の信長の影の役の方、最後に宗三に滅多斬りにされた(すごい表現だな)方。ぶっ込み方がうまい。




以下は読み飛ばしてもいいところ。

全体的にカメラワークが酷かったなと思いました。アニメ的なるものだと考えればキャラのバストアップが続くのは当然だとは思ってはいたんですが、大人数で喋るシーンとかでいちいち話者を逐一アップにするのは個人的にはいただけない…。後半になるにつれて気になりだして途中途中でちょっとイラッときました。
カーテンコール中はほんとに酷かったですね。頭下げることくらいちょっと考えればわかるんだからそんなに顔面アップいって頭下げたからって慌てて引くか?そこで引くくらいなら引きで撮ってるカメラに切り替えたりとかやれることあるでしょうに。
カメラワークに関連してではないですが、後半の本能寺の殺陣シーン、せっかく上下あるんだから上下とも使えばいいのにと思いました。遡行軍と明智軍が兼任で人数的に上下で一気にやれないという事情があったり、あと出はけも大変そうだなと思ったので仕方ないことだと後から考えて納得はしましたが、下でまず殺陣やってストップモーションで止めておいて上にスポット当ててそっちの殺陣を動かす、とかの方が多勢を相手に戦ってる感があるんじゃないかなあと思いました…。なんか空間ももったいないし時間も冗長感あるしでなんか全体的にもったいないなあと。もともとの設定って物量のある敵を相手取って、歴史を変えないために少数精鋭で立ち向かっているって話だったと思うので。
でも逆に空間空けまくっておいたほうが、空間が広いという感じは出ていいということなのかもしれません。実際広い場所なんだろうなという感じはあったので。光秀が信長を探し歩いているシーンとかもあったしね。

あと、カーテンコール中結構気になったのは、役者さんとは思えない滑舌の方結構多いですね…。楽日だから気が抜けたんだと思うことにしておきます。

携帯覚書

今日のは完全に個人用メモ。

最近安いsimカードを買って、それを運用する用の端末を中古で安く買ったんだけど、というかAndroid端末を増やしたかったのでそうしたんだけども(Androidタブレットを持ってるんだけど、タブレットの大画面でゲームアプリはやりたくなかった)、とりあえずプリインストールから消したものを列挙。

samsung push service
iチャネル
iD
contents headline
おさいふケータイ
プラグイン
カテゴリナビ
しゃべってコンシェル
トルカ
spモードメール
NOTTV
NOTTVウィジェット
声の宅配便
遠隔サポート
地図アプリダウンローダ
名刺作成DL
dブックマイ本棚

中古で電池の持ちがよくなかったのも相まって電力消費が凄まじかったのだけど、少し落ち着いた。あとdocomoの回線をそもそも持っているので、それを利用してポイントで新しい電池を買った。
まだ消せるものありそう…

それにしてもAndroidはプリインストールでもがしがしアプリが消せて快適。

あとは昔転がした回線の更新月が来るので、それを解約せねば。

何を伝えたいのかよく分からなくなった話、と、下衆の極みな話

あんまりこういう上品でない話題に乗っかるのもどうかと思いますが、というかこの記事を寝かせすぎてだいぶ時期を逸した感がありますが、椎名林檎のギブスではないけど「また二月が来たよ」ということで。まだ2月が終わる前だからいいよね。一時期よく言われていた噂のなんたらノートというやつ。
二月というのは一部ギターロック村住民のトラウマを大爆発させる季節でして、かつて、とある才気あふれるバンド(今をときめく某バンドのベースボーカルがボーカルを務めていた)のメンバーが2月初旬に突如失踪し月末には他メンバーと連絡がつくも結局解散し、出たばかりのフルアルバムのリリースツアーも全キャンセルという事件がありました。何年か前の2月の話です。
残りのメンバー二人は既に別のバンドで活躍していますし、彼自身も、精神状態はともあれ音楽的には本当に才能のある人であったので、表にはあまり出てこれないようですが結局古巣のレーベルから復帰しタイアップをもらったりと活動を続けているようで、まあその事案自体はさておいて。そのバンドが1月末、多分最後のライブとかそういう時期に対バンしてたのも某川なんとかさんのバンドだった…というかIndigo主催だったような気がするなあという事案に今思い至りました。
別に嫌いなわけではなく、流れていれば聞く程度ですが最近正直どの曲がどっちのバンドの曲だか誰かに書いた曲だかよくわかんねえよなあとはひそかに思っています。

様々な意味で下衆の極みな話題はここまでにして、前回の続きの自撮り話、というか、承認欲求を拗らせた人の話…をするつもりだったのですが、今回の記事は長い長い私信のようなものになりました。
自ら自分の首を絞めにかかっていて、それがどうもおかしな状態だと薄々感づいてはいるもののどうしたら手が離せるのかわからなくなっている友人への。
結論としては、今の努力を否定しはしないけど、傍から見ているとゴールを設定せずに新幹線に飛び乗ってしまってどこで降りたらいいのか分からなくなって、京都辺りで降りれればいいけれどそのまま博多まで向かってしまっているように見えるよ、という感じです。その人がこれを見るといいなと思いつつ。


こういう記事を読む機会があったというか人に紹介されて、アドラー心理学自体はよくわからない部分もあるのですが、納得する部分があったのですよね。他にも以前から、海外の話ですが自撮りに熱中するあまり車の運転から意識がそれて(車乗ってる最中に自撮りとか結構無茶だと思うのだが…)事故を起こして亡くなったという方の話とかを目にしたこともあったので。

自撮りも最終的には、承認欲求を埋めてほしいんですよね。ツイッターとかインスタグラムとかでは露骨にタグでレスポンス(いいねとかRTとか)クレクレする人も多いし、そうでなくても可愛くして写真を撮ればそれなりに反応が得られる。

最近になって思い至ったこととしては、相手のメンヘラを加速させたくないのであれば、安易に承認欲求を満たさない、つまり自撮りを上げても放っておくというのが一番平和な解決策なんじゃないかなというのがあります。
可愛いだとかなんだとか、もっと明確にわかりやすい判断基準としてはツイッターならRTやふぁぼ数ですね。そういう数字で(加工とはいえ)自分の顔面に点数がつく。その中の幾人かは晒しあげ目的だとしても、それよりも自分の存在にちゃんと数字がつくということに価値を感じてしまうんじゃないかなと思うんですよね。
先に挙げた記事じゃないですけども、そういう方法で承認を受け取れるんだと思ってしまうこと、無意識にそういう行動を強化するような行動はあまり避けた方がいいのかもしれない。

全く別件なのですが、いわゆる祭りになった人の関連のまとめとかを少し前に追っていたことがありまして。
彼もどうも精神的に問題を抱えている人(いわゆるボーダーとかその類)のようで、そのまとめに書き込まれていたことがこうした事例にとてもしっくりきたので、妙に印象に残っていました。
「自分で自分を正当に評価できない人間は他人からの評価が欲しいんだから、SNSであるとか匿名掲示板であるとか、そうした自分への評価に満ち溢れている場所の中毒にならないわけがない、その人が欲してやまない自分への評価があるのだから」という趣旨のことだったのですが。

少し脱線すると、私自身も元メンヘラで自分をどう評価していいのか分かっていない節があって、だから例えばはてなのスターだとかpixivの評価点数だったりとか、そういうものには非常に敏感になります。どんな場所でもそうですが、投稿してからはしばらくそういう数字の類を定期的にチェックしているので。正直なところ。
何がまだましな方向に動いているかというと、例えスターがつかなくてもツイッターでいくつか意見とか参考になる情報だとかを挙げて反応してくれる人がいるだとか、そういうところで納得できているのでまだいいのかもしれない。あと、自分自身の見た目とかキャラクターとかを切り売りしているわけではないのがまだ救いというか。

最近、pixivでは自分が気にくわない(単にそのくらいしか価値がないと判断した場合も含むんだろうと思うのだがよくわからない)投稿に最低評価点である1点だけ押していくという行動様式があるというものがある、さらには荒らし用に1点評価をするためだけの垢を持っているユーザーすらいるという知見を得たのですが、「別に※とかいらんブクマして点数つけてくれ」系ユーザーであるところの自分はその行動があまりストレスにならないんだなーと思いました。真にへこむべきはその1点だけしかつかなかった場合と評価がまったくされなかった場合だなと。
各所で叩かれたりなんだりして凹んでいる人に対して「相手は君の悪意を引っ張り出したり、悪意をぶつけられておろおろしているところを見て笑いたいだけなのだから放っておくべきだ」とよく言っているのですが、そういう意味でもいい気の持ちようなのかもしれない。笑

閑話休題
先に挙げた友人の話を少しします。

自撮りだけが原因ではないのですが、彼女はこの1年ばかり完全に精神をやられている…ように、私や一部友人たちには見えています。
一度醜形恐怖の類ではないかと指摘したことがあって、本人は「醜形恐怖みたいに美しい人がありもしないことに怯えているわけではなくて、ただブスという現実にへこんでいるだけだから病気ではない」と主張していたのですが、傍から見ている限りでは、四六時中自分の顔面がいかに醜いか、それによっていかに不幸になっているかしか考えられず、その考えがもとで鬱々しているという段階で十分に病的というか異様な状態だとは思います。
正直に言って今彼女に必要なのは美容整形の類でも依存できる恋人でもなんでもなく心療内科の類かカウンセリングだと思う。

もともとあまり自己評価の高い方ではなくて、そうなった原因は私にはわかりかねるのだけれど(個人の事情だからあまり突っ込んでも仕方がない)、ツイッターでも自虐ネタに走ることが多く。自虐ネタもその人の精神を歪ませると一部では評判ですが、絵に描いたように自分自身が吐いた自分を貶める言葉で病んでいってしまった、そんなふうに、私からは見えています。

タイムリーにツイッターこんな記事が流れていたのを見かけたのですが、で私これを読んでこういうこと

を書いたのですが、金も見た目の美しさもあるにこしたことはないけれどそれがゴールでは決してないのよね。だから金持ちと結婚したから幸せな家庭が手に入るわけでもなければ、整形して美しくなったからって素敵な彼氏ができて結婚できるわけでもない。むしろ卑屈な美人ってものすごい厄介な相手に引っかかる率が高い気がする。
それはさておいて、綺麗になれば幸せになれる、痩せれば愛される、そういう考えもこの、理想の家庭の形があれば幸せになれるみたいなものだよなあと思いました。自分自身の母親も割とこのブログの方のお母さんみたいなところがあったんですよね。いろいろあって家庭内のヒエラルキーを考えたときに私の力が強くなったことと、年を経るにつれて彼女自身の問題が解決されていったことで今は普通に付き合えていると思いますが。

またまた脱線して自虐ネタというか卑屈なことを言う人が嫌がられる理由は「卑屈が過ぎるとその言動は傲慢な人間のそれと一致するからだ」というのを何かで見かけて目から鱗でした。そういう言い方があるのか。


今回の記事はなんか整理されてなくてぐちゃぐちゃしているので(下書きのファイル名が0207なのでおよそ一月くらいこね回している)、一度降ろして書き直すかも。そうしたい。

顔出しはNGで

タイトルに特に含意はないよ!たぶんね!

書く書く詐欺をしている早番だの仕切りだのという話の流れで、他の世界の良番に相当するもの、つまり良席とかそういう話を読み漁っていた過程で見つけた記事に、なんでジャニヲタの若い子は平気でインターネット上で全世界に顔晒して友達作ろうとするんだろう?という趣旨の記事を見つけたので、思ったことを書いていこうかなと思います。はてブロ内なんで言及リンク飛ばしてもいいような気もするのですが、ここ最近は知らん人からフォローされただの過去記事にふぁぼされただので揉める時代なのでとりあえずその辺は慎重になっていこうかと。様子見て貼ります。

単純に言うと、正直ジャニーズ系に限ったことではなくて、自分の観測範囲だとバンギャルロキノン女子もだいたいそうだよねという。ジェネギャ案件という方が正しいかも。
っていうか最近の子たちってびっくりするくらいインターネットで顔出すことに抵抗ないよな!?
抵抗がないどころか、自撮りを定期的に全世界に公開しつづけないと死んでしまうんじゃないかというような人まで存在するしな。これは本人の気質や承認欲求拗らせてる等といったコンディションの問題も大きいでしょうが。

この事案については、実は自分のツイッター鍵垢のフォロワー間というとてつもなく限定された空間で複数回話題になったことがあります。まあ綺麗に意見が割れましたね…。
鍵垢フォロワーの年齢構成が、1982~86年がメインの30前後と89年あたりのいわゆる平成っ子たちが同数程度、あとは70年代生まれのお姉さん、というものなんですが、30代前後は概ね「どこの誰かが見ているかわからないし、それこそ顔の一部でも、特徴が分かればある程度の推察は可能(服だとか持ち物の写真を併せて載せたりしている場合、それも合わせて個人の特定はさらに容易になる)だからその必要がない限り無闇に公開しないほうがいい」という見解で、89年世代の方はというと「危険だと言われても実害を感じてないし、顔出しはしてるけど盛ってるものばかりだからライブハウスで出くわしたところで実物と一致するとは思えないし、もし何らかの面倒ごとに巻き込まれたら公開をやめればいいだけのこと」という見解だったのですよね。

上の例でも挙げた通り、体感では傾向が割れてくるのが概ね89年頃以降生まれの子あたりから。ジャスト平成ですね。
どこかで、「30くらいから平成頭くらいまでの人たちはインターネットについてまともな教育を受けていないからやらかす率が高い」というのを読んだことがあって、30前後の人に関しては半分正解で半分は当たってないと思います。
私の世代だと、大学でさらっとPCについての授業を受けたくらいで、パソコンは仕事で使うくらいにしか使用せず、スマホタブレットが出始めてようやく(それらをパソコンやデジカメの代わりとして)使用しだしたという人も一定数いて、そういう層は普通にインターネット上に個人情報垂れ流したりするので、そういう層については正解。でも、そうでない層は、それこそダイヤルアップでちまちま繋いでは切ってオフラインで作業して繋ぎなおして、という時代を経て(高校時代の私のことです)、大学~社会人になってPCが少し手頃になり、常時接続の環境も整うようになった頃からサイトを作ってみたりエンピツやらはてなダイアリーやらに日記を作ってみたり全盛期の2ちゃんねるに入り浸ってみたりするわけです。そういう層のだいたいが何らかの趣味を持ってる層*1なんですけども。
そうなればこのサブカル龍田ちゃんbot

じゃないけど各種炎上案件は見てるよね当然。必然的に自分の情報をインターネットに晒すことには慎重になります。

でも若い子についてはどうなんだろう。正直どの程度のリテラシーを学校教育とかで得られるのかは知りませんが(ことインターネットの扱いについては2016年現在でも学校教育って正直あまり意味ないような気がしている)、89年代生まれとその前後がエアポケットという説も現状根拠薄弱ながら体感としては近いのでどうにも納得してしまう。

ちょうどこの記事を再編集し始めたころに出たタイムリーなエントリがこちら
おばさんたちはinstagramに来ないでほしい、とか、青春基地の話とか - ヨシオカの頭の中

なんですが、若い子特有の世界の狭さというか、自分たちの世界に知らん人が入ってくるみたいな感覚でいるっていうのはツイッターとかにちょいちょい書き散らしたような内容で、やっぱりそういうことなんだよなあと思いながら読んでいました。うまく説明してくださってるのであまり深く言及しなくて済みました。笑 いやもうちょい書きますけども。
上述したような平成生まれくらいの年の子ってまだ今一つインターネット上で制限のない空間に放り出したものはワールドワイドに広がってしまうっていう感覚やっぱり薄いように思う。その年ですら、なので、況やそれより若い学生さんをや、といったところ。追加の要因として上がりそうなのが、LINEでグループ組むのが主流になってる世代だしなあ。若いことに起因する世界の狭さに、グループ内の人にしか見えないコミュニケーションに慣れているということがプラスされれば、全世界公開の場所に出てきても「相互フォローの人は20人しかいないし大丈夫」となるかもしれない。

若い子たちの言い分として理解できるところとしては、確かに最近の自撮りアプリや画像編集アプリの進化ってものすごくて、30代以上のおたくが悶絶しそうな表現で言うと美化120%どころか2~300%くらいのものは作り上げられる。写真を撮る段階から光の当て方やらぼかしやら何やらで補正してくれて、加工アプリは一部の機能だけ見たらPCの画像編集並みで、化粧ができるどころか骨格から弄るくらいのことができたりする。確かに顔や体型だけならいくらでも弄れるので、ぱっと見でああこの人だ、という判断は難しくなりました。
ただ、だからと言って「ほら写真くらいで特定なんか出来ないじゃん」というのは早計です。答えは簡単、往々にして写真を上げてる子というのはライブハウスなりなんなり、会場で友達に名前を呼ばれる機会があるから。ご自慢の小物と顔立ち(雰囲気やそれこそ手とかそういった補正をかけていないパーツ)でも「もしかして」くらいは思われるのだから、そこで名前を呼ばれたら決定打。
まあ基本的には顔が割れてたところでどうということはない(はずな)のですが、狭い社会、まあいろいろ起こり得ます。女の嫉妬がどうという言い方はしたくありませんが(女の嫉妬もそれはそれで面倒な話ではあるが男の嫉妬の方が手段を選ばない分えげつない)、故意ではなくても結果的に相手に不利益を与えたとか、そうでなくても単に相手にとって妬ましい出来事が起こった程度でやいのやいの因縁を付けられてしまうご時世、リスクヘッジはなるべくしておいた方がいいしそれを考えたらうかつに様々な情報を開示しない方がいい。情報の断片でも、積み上げればある程度のことは特定可能ですしね。結果的にこの問題に対する自分の回答としては、以前こういう話題になったときと変わらず「悪いこた言わないから、うかつに顔写真とかほいほい全世界公開でうpすんなよー」に納まります。

あと邦楽ロック村の若い子によく見かけるのは、その日の格好の自撮りを上げたり、ツイッターでその写真をアイコンにしたりした上でメンバーに話しかける(「今日物販で(対バンでそのバンドの出番が終わった後に/終わった後会場の外で etc)お話ししたんですが、覚えてますか?」)っていうのがありますね。バンギャルの場合、最近はツイッターのリプ垢ってのが増えてきましたけど何年か前まではアメブロが主にその役割を担っていました。アメなうをやってる人も多かったんで、なうをフォローして話しかけたりするためにも必要だったような。で今は結局のところ割合的にどうなんだろ。

バンギャルにアメーバのアカウント持ってる率が非常に高いのは、オフィシャルブログ/メンバーブログをアメーバに開設しているバンドが結構な数いて*2、友達登録した人限定の記事を読んだり、ペタやいいねを押すためにはアカウントが必要だからというのがあると個人的には思っています。ただ、自分自身もアカウント持ってるのですが、アメーバの何が嫌って、何よりも大きかったのがスマホアプリのUIがクソすぎるということなんですよね…。アメブロってどの機能もそこそこ整えられていて、なんとなくおしゃれなブログが作りたいような層にとってはうってつけですよね。ただひたすらがっつり文章を書きたいだけの層には向かないような。私がはてなブログに帰ってきたきっかけでもあるところの若い語りたがりのジャニヲタさんたちが結局ここに流れ着いたみたいに。


承認欲求こじらせちゃったパターンについてはまた後日。正直こっちこそ書くネタが大量にあるのでぐちゃぐちゃ考えようと思います。

あともう一つ書きたいテーマがあって、これは前々から積んでるもので、属人的であれ団体としてであれ何らかの物語を消費することの話を書こう書こうと思っていて、くだんのSMAP×SMAP見て予定早めようと思ったんですがいまだにまとまっていない。

*1:女性なら概ねジャニヲタかバンギャロキノン女子か宝塚…はちょっと状況が分かりませんが、まあだいたいそういう

*2:ライブドアブログヤプログは古くから個人ブログの形で持ってる人にたまに見かけますし、サーバー内にブログを置いてそこで書いているという例も時々あるのですが、少なくともはてなブログはほとんど見たことがない