俄か雨

しがないバンギャルのたわごと

【全力でネタバレ】シン・ゴジラを見に行った

全身全霊でネタバレしています。










前評判にある「むっちゃエヴァ」「馬鹿が誰一人いない」が最後の最後まで波状攻撃できたのでもう満腹です〜って感じになりました
おまけにMX4D初体験してしまったのでちょっとしたアトラクションでした。でもうっかり買ってしまったポップコーンに気を取られたから次回は普通ので見ます…。



序盤の興奮しどころは「たかなみだ!」「三沢からF-2が飛んだぞ!」「ああっうん百万!うん千万!いや億!ああ億が飛んでる…!国家予算が…!」でした(謎の興奮のしどころ)。ああいう映画の楽しさ。札束でひっぱたくってこういうことやで…ってああいうシーンを見るたびに思います…。(違う)
あと都内勤務神奈川在住なので「ああっあそこが!」という面白さもありました。特に第二次上陸の際の武蔵小杉駅前の爆撃シーン、あの辺りって、謎に再開発に力を入れていて駅前にタワーマンション立ってて、他に高層ビルないわけじゃないんですが、確かにあの一角ちょっと高層なんですよね。それにもうゴジラによって横浜側の高い建物はなぎ倒されているだろうし。だからあの駅前タワーマンションの異様な突き出しっぷりが本当に面白くてですね。
ていうか、鎌倉から上陸して武蔵小杉駅あたりから多摩川を渡るということは概ね横須賀線湘南新宿ラインが走っているルートに近いんじゃないでしょうか…。見たことある景色~!!!!!
鎌倉のシーンは平屋の建物が非常に多くて、ゴジラでけえ!って感じだったので、その辺もまたリアル。戸塚過ぎたあたりから高い建物が少なくなっていって(沿線に工場?とかある)大船から鎌倉方面は高い建物減る印象ある。大船自体にもあまり多くはないかな…。


あとは展開がとにかく早い。早い早い。阿呆が引っ掻き回して右往左往みたいなありがちストーリーに慣れきった頭ではストーリーと人物は把握できたけど人の名前が覚えられなかった。まじで。でも逆にメインとなるキャラクター以外名前を覚えさせないようにしているのか?これは複数回見るのもやむなしというのは納得。
というか、確かに特撮くらいはこういうカタルシスを得たいよなあ〜と思う。人類の叡智!国の技術の粋!プロジェクトを完成させるべく奔走する人々!すっげー!かっけー!みたいなものを何も考えずに味わいたい。ツイッターでこういう感想を見て納得したのですが、確かに阿呆に右往左往させられるのは現実だけで十分です。
なんかもう突破口がものすごいな…。マキ元教授の遺留品に折り紙があるのを思い出したシーンは鳥肌が立ちました。まあ確かにその後の展開はあまりにもだだだーっと進みすぎて、それ本当に大丈夫なのか?と一瞬頭をよぎりましたが、あの状況下なら確証がどうとか言ってる間にやれそうなことをやるしかないとも思う。

ヤシオリってあとで調べたらヤマタノオロチを撃退した酒なのね。経口で凝固剤を飲ますという作戦にはまさにどんぴしゃり。
あと、あとに書く話の先取りになりますが、ラストシーンのゴジラの尻尾、この作戦名からの連想でいくと、ヤマタノオロチの尾から出てくるのは天叢雲剣なわけだが、じゃあゴジラの尾から出てくるものとは?という考察を読んで、そういう見方もあるんだなあと思いました。あの中からまた、それこそ巨災対メンバーに指摘されてたような無性生殖からの有翼形態が出てくるなんて可能性も大いにある。
っていうか序盤の変態の過程すごく面白かったよね…なんかナチュラルに川を遡上してる途中の手がない感じのが第一であのなんかヌメヌメした感じの(目がまたちょうキモかった)ナマズかなんかをしゅっとさせたみたいな…あの前脚の名残みたいなのが生えつつあるのが変態の過程なんだと思ってた。オタマジャクシが手が生えるみたいな説明されてた気がするから、途中で手足が生えるんだろうと思ってて、あああれ確かにオタマジャクシの生えかけの手だわあと思って、あれが第二なんだろうと思ってたらそういうことでもなかったっぽい。最初の海ほたるあたりにいた長いしっぽが第一なんですね。であのぬめっとした魚的サムシングが第二、足が生えた段階が第三、第二次上陸からのいわゆるゴジラフォームが最終、第四形態になる、でいいんですよね。序盤はまだ小さかったから(第二次上陸で体長が二倍になったという言及があったはず)、目がすごく大きくてぎょろっとしてて気持ち悪かったんですが、第四形態になってからは「目どこだよ!」くらいに小さくなっていて、どれだけ大きくなったのかは一目でよく分かりました。いずれにせよ気持ち悪かった…。

でここまで書いて気づいたけど確かに海から襲い来る巨大ナマズ(みたいな何か)、川を遡上し船を押し流し、陸に上がって家々を押しつぶしていく、この映像、このワード、すごく既視感がある。確かにこれは311と言われるのも納得。

あと本当に細かすぎる感想ですが、ドイツの研究所にスパコンを並列につなげて解析に協力してくれと依頼したときの、研究所のたぶん偉いさんであるおばさまの発言がとってもキリスト教人道主義を生きるリベラル系研究所って感じが溢れてて、ドイツ人だーーーーーって思いました…。見た直後にわたしにこの映画を勧め続けていた人と話をしたのですが、あの一神教的倫理観というのは日本人にはわからない、生命倫理系の議論なんかは全然理解できなかった、と言われて、まあ私も単にキリスト教の洗礼を受けてキリスト教に近い環境で育ってきただけの日本人なので微妙なところはあるのですが、あれはそういう環境に身を置かないと理解はできないと思う。日本人は結局のところ世界で起きている出来事の大半を動かす原動力であるところの人々の持つ物差しとか倫理観とかそういうものを理解できてないから世界の出来事の大半を理解できていない。と思います。なんだろうな。宗教を持てとかそういうことではなくて、本当に住む世界というか見てるものが全く違うんですよ。その辺は宗教学とか倫理学、哲学といった学問がカバーすべき地平だと思うのですが、その辺を頭の片隅で理解してるかしてないかだけでもだいぶ理解が違うと思う。
ことに理系に多いんですが(各種例外はある)、何か定説となった事象だって結局どうしてその辺は着想に至ったのか、の背景にはその人、その人を育んだ各種共同体、もっと大きく言えば社会や国、その地域の思考のあり方、みたいなものが少なからず関わってくるわけで、その辺を理解せずにいる人たちの思考というのはとっても浅いところで終わってしまうわけです。まあどこまでもドメスティックな仕事に終始するならそれで十分なのでしょうが。

とここまで全力で書いたあとにネタバレ読んだらドイツ語を聞き取れる人いわく「日本人を信じましょう」と言っているらしく…ええっそれだいぶというか大幅にニュアンス違うぞ!?いいのか字幕あれで。


話が大幅に逸れた。あまりにもネタバレしすぎて詳細を書くのが憚られるのですが、最後の最後、フランスの大使に頭を下げ続けていた里見さん、本当に神がかっていた…。やられた…!ただの運良く生き残ったボンクラじゃなかった。しょっぱなからラーメンのびちゃったよ〜とか言ってるから完全に油断した。すげえ人だ。そこで生きてくる泉政調会長の発言、「フランスにはコネがある」…やばいな…。ジャパニーズ政治家だわ…。


あと石原さとみはものすごい賛否両論あるようなのですが(名前と立場を考えたらあんなにアジア人に寄った見た目の人間が出てくるはずはそもそもないというのは確かにそうだ)、でも金髪碧眼で祖母がうんぬんと言われてもリアリティがないなと思うし、私の思い込みというかセリフの聞き違いだったらあれなのですが彼女被爆3世だと思われること言ってませんでした?そうでもない?普段生きていく上では何の影響もない事象なので取り立てて言うこともそんなにないのですが一応被爆3世として生まれた者として*1、アメリカと日本の間に立つものとしていろいろ思うところはあるのだろう、というのでその存在に妙なリアリティを感じたわけです。あと初代ゴジラの設定としてある、原水爆実験の所為で、というくだりの流れをくんでるなと。どうも最近のゴジラはその辺うやむやだと聞きましたが。最後の沈黙の中映るゴジラの尻尾といい、その辺へのリスペクトを感じました。わたしはね。

最後の竹野内豊のセリフ、この国は何度も立ち上がった、だから今回もきっと立ち上がれる、そんなニュアンスのセリフがあって、あれも多分賛否の一因というか政治的と言われる一因な気はするのですが、でも個人的にはあれ好きです。

やっぱり今の時点でリアルな核、原子力との戦いと言ったら核実験よりは核廃棄物の処理問題であり5年前から今に続く福島第一原発という事象であるわけで、昔のゴジラに使われた超兵器みたいなものではなく、科学の粋を集めた物質を作って凍結させた。それもリアルに日本人が見てきたものに近しいと感じる。
最後、結局ゴジラは東京駅に鎮座したまま日が暮れていき、核を使うタイムリミットは止められただけでまたゴジラ復活の兆しがあれば動き出す、というあたりもその辺を想像すると示唆深く感じる。

前半の第一次上陸の際、蒲田あたりの踏切に逃げ遅れた人がいて、攻撃を中止するよう言うんだけども、あのシーンがあるからこそ日本(のゴジラ)かなあという気もするし。あそこであのおばあちゃん背負ってる人を気にせず撃ったらそれはハリウッド映画だ。そこに視線がクローズアップしてしまうのが日本らしいところというか。NYに出たとしても核を使う、という発言(これ自体は昔のゴジラシリーズのセリフに元ネタがあるらしい)のもそれを強化する。でも、ifの話として、どちらかと言えば合理的な判断としてはそこで叩いてしまう方が本来なら被害も少なかったのかもしれない。あの二人は確実に死ぬだろうが、でも2度目の上陸までもしかしたら時間が稼げたかもしれない。それが必ずしも正解だとは思わないが。悩ましいね。

そう考えると、本当に日本の総力戦で、ニッポン対ゴジラというコピーは一ミリも間違ってなかった。

あと会議シーン。私はすごく面白かったです。みんな早口だし。あと防衛大臣がリアルすぎて笑った…。ああいう分野に造詣のある女性ってだいたいあの手のイケイケなタイプが多いので(偏見)。見てて院の時にお世話になった教授を思い出した…。あと、前半の会議シーンはコメディパートみたいに言ってる考察が結構あって、それも確かにそうだなと。あと個人的に思ったのは、前半の文書主義の中の好きにしてないシーンを散々映しておくことで、後半部ののっぴきならない事態の中で「好きにした」人たちの本気がドラマティックに映るのだろうなと。対比です。


とりあえず、あと1回は見たいなと思います。と言いつつ結局マッドマックスも1回しか見なかったからDVDとかで見るかもしれない。

*1:祖母と父の兄姉が被爆者で、父は戦後、祖母が結構年いってからの子供なので私のいとこ世代の中にも被爆2世と私のような被爆3世が混在してる

晴れた終わり

タイトルは好きなんだけど曲自体は言うほど好きじゃないんだ実は

いっつも雨を降らせてきたのにこういう日に限って快晴とか意味わからなくないですか???

ギルガメッシュの解散ライブでした。

あっけらかんと今日の空みたいだった。完璧なツアーファイナルだった。なんで次のリリースと次のツアーの告知がないんだろう?と思った。
でも、本当は、とっても重かったんだなあ。
メドレーを入れたら40曲くらいやったらしくてくたくたです。寝ます。

【ネタバレ無/タイトル詐欺気味】デッドプールを見に行った話、あるいは第四の壁

最近ジャニヲタさんと若手俳優のおたくの方たちのブログをよく読みます。応援スタンス系の記事が最近はやっているらしくて面白いので、検索掛けたりして気になった人を読者登録に突っ込んで継続的に読んだりしている。実に面白い。

んで一つ俳優系のひとたちですげえなって思ったのが、みんなナチュラルに高額差し入れ(服とか身に着けられるもの系が結構多い)を貢ぎと呼ぶのな…。貢ぎもしくはお貢ぎというタームをよく見かけた。まあ実際やってることは貢ぎなんですが。バンギャル界隈でも物蜜*1みたいな人は普通にいる。し、好きな人推してる人にクレクレされたら買いたくなる気持ちもわかる…。残念ながら消耗品くらいしかやったことはないですが。あと誕生日でもないのに万単位のプレゼントってちょっとどうなのって思ってしまうので…。

そういう話はまた後日改めてします。さて本題。
先日デッドプールを友人と見に行きました。某人(もう面倒くさいのでこの表記)が仕事での海外渡航中に飛行機の中で3周くらいしたらしく、交際相手含むマーベル山の住民たちが散々見たいのなんのと言ってたのを聞いてた身としてはやっぱり見ておくか…と思いながら重い腰を上げようとしたら、ゲーム実況か何かで興味を持ってたらしい友人(某人の被り同士、いわゆる同担/厨同士の友達。何故か私のことを気に入ってくれていて、ライブない日に時々飲みに行ったりする。平成生まれ(=めちゃくちゃ年下。よくよく考えたら8歳くらい違うのでは…?)の非常に面白い子)がそれなら一緒に行きませんかと声をかけてくれて、決行するに至ったという寸法です。

映画自体は普通に面白かったので、その感想はここでは割愛します。面白かったからみんなたちも見に行こう。
タイトルの半分をここで終わらせるという暴挙。


さて表題にもした第四の壁とはなんぞや。

第四の壁 - Wikipedia

まあ要するに舞台の上と観客席の間にある不可視の壁というアレです。

上記のwiki見てもお分かりの通り、デッドプールはそもそも第四の壁を破れるキャラクターとして位置づけられている。映画内でも観客に語りかけるシーンのみならず、他の登場人物との間で「待てよ今観客に状況を説明してんだから」的な言及もある。自分がフィクションのキャラクターであることを自覚して行動している(という筋書きの)キャラクターである。

こういうメタ発言をするキャラクターとかは結構面白がるタイプなんですが、でも実際各種舞台の上から横行する密やかな壁破りにはちょっと眉をひそめることが多かったので(それが例え自分に宛てられたものだとしても)、その差はなんだろうと前々から考えてたのですが、月曜にうっすら出した結論は「自覚的か否か」だろうなーと。演出として必要か否か、と言い換えてもいいかも。

いやーまあ自分自身も嬉しくないと言えばそれは嘘なんですが。某人は最近そうでもないけど昔はそこそこ構う人で、(多分今も出席確認自体はしてるんだろうけどあまり露骨にやらなくなったなーと思ってる)経験あるのはセットリスト手渡しで貰ったりペットボトル狙い投げしてもらったはずが取り損ねてあからさまにすっごい苦笑されたりどうも狙い投げしてもらったようなのに取り逃したりとかまあそういう些細なところでですね…。
…しかし狙い投げされるの向いてなさすぎだな。逆に他のメンバーさんの狙い投げ取っちゃって気まずかったこともあるしな。うっかり取ってから気付くと気まずいのでほんとやめてほしい。NO MORE誤爆狙い投げ。


閑話休題
客席をやたら構いたがる演者というのはどこの世界にも、それこそ舞台だろうがバンドのステージだろうがアイドル現場だろうが、どこにでもいる。お笑いとかのライブでもあるのかな。あるんだろうな。行ったことないのでわかりませんが、多分ね。
バンド系だと結構実例には事欠かないんですが、客席弄りとしてではなく特定の客構いまくるバンドってびっくりするくらいいるけどどれもびっくりするくらい売れてないよな…。バンド名は出しませんが、例えば10代後半からやってて十何年のキャリアがあり、そこそこ大きなハコでもやってるはずなのにどこもいまいち売り切れたみたいな話を聞かないまま結局解散したとか。これまた10代後半からメンバーも変わらずやってて十何年のキャリアがあり、あちこちのイベントに出まくっているのに下北の小箱も結局はワンマンで売り切れなくて後方は関係者枠で入ってそうな友達のバンドマンばっかりとか。前者がV系で後者がロキノンです。だから本当にジャンル問わず。どっちも対バンとかでちょいちょい見るところだったのですが、そういうのって輪の中にいると意外と気付きにくいけど傍で見てると結構目につくのよな…。

例えば自分を認識してないステージ上の人とその人に構われているお客さん、それ自体は「お、おう」で済んでしまうことなんだけども(自分と一ミリも関係がないから)、その人に対する印象は「一瞬でも人前でステージ上の時間の私物化をする人なんだな」っていうものにはなると思う。
例えば自分の推しが客演で行った舞台で、初めて見る俳優さんがその人の推しと思われる最前の子にファンサしてたとか、対バンで初めて見たバンドのメンバーが前方または柵とか壁際のとこにいるような特定の客を構っているとか。アイドル現場だとうまく想像できないですけど。明確に客にレスするタイミングではないようなところで特定のヲタに意味ありげな視線を送ってたりするんだろうか。まあそんな感じを想像してみてほしいです。自分がされたらその一瞬は当然嬉しいしそれが目的になってるなら満足して帰れるだろうけど、そうでなければ違和感も湧いてくるんじゃないかなと思います。少なくとも私はね。
当然ながらそれが自分の本命だとか自分を認識してる相手だとか知らんギャだとか被り同士だとか、そういう間柄になってくるとそこに人間関係とか嫉妬とかそういう気まずさが入ってくるので更に話がややこしくなる、というのは想像に難くない。


そこで冒頭の仮説、自覚的か否か、に戻る。ほんとに何の気なしに自覚的か、という言葉を用いたのだけど、何に対して自覚的なのかと言われたらそれは自分のいまやってることに対して、だと思う。壁破りじゃないです。ステージの上にいるということ。換言すればプロ意識とかそういうものかもしれない。
だってステージの上の時間を私物化するような人がプロ意識高いとはお世辞にも思わないでしょ。他のところを頑張ったところで、そういう甘さは言動にやっぱり現れる。


個人的には、バンド系だとぎりぎりの許容ラインがその終演後の餌撒きタイム*2 かなあという気はする。でもカーテンコールも立ち位置的にはこの時間に近そうだけど、そこであったらどう思うんだろう。なんか気持ち悪いと思いそうだなあ。わたしいわゆる若手俳優系とか2.5とかはそんなに見に行かなくて学生時代の友人の舞台とかの方が多いので余計にそう思うのかもしれないけども。

これが女子アイドル現場とかだとまた違うのかなあ。客席へのレス自体が文化になってる感じも見聞きするかぎりあるけども。女子アイドル現場にそこまで行ったことがない(ゼロではないけど特殊な現場ばっかりだった)のでいまいちわかりません。



結論としては、まあやりたければやればいいけど自覚は持とうな、というところでしょうか。

*1:蜜(貢ぎさん)は金銭を貢ぐ人のことっていう印象がある

*2:使用済みピックやスティックやその日のセットリストや飲みかけのペットボトルやなんやを客席に投げ込むサービスタイム。前方の客とハイタッチしたりする人もいる

【多分ネタバレ】初めて及川光博さんのワンマンショーに行った話

バンギャルって割とネタバレどんとこいみたいな人が多いので(公演が間空いてたりするからセトリ組み替えたりする余裕もあったりするし、そんなにMCとか演出も凝ってなくてご当地ネタをちらっと話したりするくらいなのでむしろ情報は積極的に共有してくださいみたいな人が多い)、ネタバレの基準が甘くなっている可能性があるのでその辺は必要があれば各自で自衛していただけたらと思います。あと18日の公演は撮影入ってたので、何らかの形で映像になるんじゃないでしょうか。


断り文句が長い。では本題。


母と妹と3人で、「及川光博ワンマンショーツアー Punch-Drunk Love」@神奈川県民ホールに行ってまいりました。
このアルバムの発売イベントが3月だか4月に川崎のラゾーナであって、それを見に行ったところ「いつか見に行きたいねといってたミッチーのワンマンショー、今こそ実現する時なのでは!?」みたいなテンションになり、一般発売でめでたくチケットを手に入れたのでした。取った後に、その日はシネマスタッフのツアーファイナルの日だということに気づきましたがそこは見なかったことにし…。
「死んでもいい」でポンポンを振ることはかなり昔から知っていて(家のVHSの山を漁れば流星光一郎先生の振り付け講座の映像がまだあるんじゃなかろうか。PUFFYの番組じゃなかったかな)、グッズを見たらペンライトがあったので「よしこれも買って振ろう!」と盛り上がり15時に始まる物販に間に合うように向かったのでした。

ポンポンとライトの実物がこちら。ライトは1800円、ポンポンは1000円します。お姉様方が多いところの価格感はありますがムックもシュシュ1000円とか1500円とかで売ってた記憶があるのでまあそんなもんですかね…。ちなみに花柄のシュシュは1300円でした。
今回アルバムも花柄、ミッチーも花柄のスーツをお召しになっている、ということもあってグッズも花柄のシュシュやポーチ、客席も花柄のお洋服の方が多くて華やかでした…。何か花柄を身につけていけばよかった。
物販の会社はライブの物販とかを請け負ってる会社(昔派遣で登録してたことがある)で、結構人数もいたのでさくさくでした。

そして入場ですが、私はこの時にようやく気がついた、この人数を30分で入れようとしていることに…。
えっ…ここはエリアでもシェルターでもないですけど…キャパ2300ですけど…大丈夫?
そんな私の心配をよそにどんどん列に並んでさくさく入場していく人たち。よくよく見たら皆さん早々に着席してポンポンを作成している。それはさっさと入って座りたいわ…。納得。

開演前の影アナもすごい。世界観作り上げてる…。ときめきスイッチってなんですか?私が知ってるのはやる気スイッチくらいです。よく行方不明になると噂のアレ。

で開演。しょっぱなからバラ色の人生(よく知ってる)だったのでまず心を持って行かれたのですが、全編通しての感想が、とにかくよく動く…。そこらへんのおとなしいギターロックよりもはるかに動く…。第1部と第2部の間に15分休憩があったり愛と哲学の小部屋というミッチーのトークコーナーがあるのですが、それ以外のかなりの時間をステージの上で踊っているミッチーとダンサーのおねえさん…。客席もそれを見て踊る踊る…。
割と初めて見た動きでも2番の半ばくらいからは割と適応してることでおなじみのバンギャル、私もいちおう15年ほどバンギャルやっていますのでそんなに適応力が低いわけではないのですが、それでも動きがわからない…。振り付けなんですが、ただ手だけ動かしてるんじゃないんです。ダンス。まさにダンス。あれは無理だ…。ただ割とパターンは似てるので(振り付けやってるひとがすきなパターンの動きがあるなあという感じ)、2曲3曲覚えられれば割と応用はきくのではないかなと思いました。

ダンサーのおねえさん。ラゾーナのイベントでは「パンチラガールズ」と紹介されていたのですが、まだ名前はパンチラガールズでいいのだろうか。ひとりが動きのキレがいい感じの方で、もうひとりが手足の長さを存分に使ってる感じの動き方をする方で。対比が見てて面白かったです。意図して選んだのだとしたらすごいな…。

なぜパンチラかというと「パンチ」ドランク「ラ」ブという話らしいのですが、当初はパンドラ(「パン」チ「ドラ」ンクラブ…もしかしたら「ド」ランク「ラ」ブ、かも)ツアーにしようと思ったとのこと。でもお客さんたちがパンチラパンチラ言い始めて…と。

あと、ファンタスティックス(バンド)の皆さんもひとりひとり紹介をして、挨拶のパートもちゃんとあって、見せ場とかでは動ける楽器の人(階段の上にいたラッパ系のかたがた)が降りてきたり、と、ツアーのタイトル「及川光博&ファンタスティックス」でもいいんじゃないこれ?と思った程度にはただのバックバンドという感がなくて、一緒にツアーを回って一緒にグルーヴを高めているんだなというのが伝わってきました。

ファンタスティックスといえば、昔映像を見たときに目にしていた理枝ベイベー(コーラスのおねえさん)、物販の時に理枝さんのバンドの告知のカードをもらい、「まだコーラスされてるんだ!」とテンション上がりました。どうやら一時期おやすみされてたそうなのですが、最近というか、今ツアーから復帰されたとかで。

MCはというと客席いじるの上手いですね…。「3階ベイベー!」から始まって2階、1階後方、真ん中ときて「1階前ベイベー!」まで細かく声をかけていくんですが、これだけ細かく呼びかけされたらなんとなく自分のいるあたりを意識してくれてるんだなーと思えて嬉しいだろうなと思いました。最後列の人たちにも一度呼びかけたしね。というか、まず3階ベイベーから始めるその徹底っぷり。やっぱり何だかんだ女性のお客さんが多いので、誰かを取り立てて贔屓しないように、でも大人数まとめてではなく丁寧に接してるんだなーというのが見えてすごく素敵だなと思いました。男子(ベイベーの対になる言葉)もそこそこいるのですが。愛と哲学の小部屋でも男子の投稿が読まれてたな。

MCに入る前後とか、ちょいちょい後ろを向いて髪を整えたりお粉かな?そういうしぐさをするのが見えるのですが(そこでオペラグラスを借りなかったので細かくは見えてないのですが)、美意識がすごいなーと最初思ったのですが(要はこまめに直すから素敵なミッチーを見てねということで)、そのお直しのしぐさそのものがショーの世界というかミッチーのキャラというか世界観というか、そういうものにはまった行動であるなと思いなおしました。うまく説明できないので後から追記します。
ついでにMCなんですけど、ネタバレを避けた感じで書くと横浜で昔アルバイトをしていたころの話とか、ご当地ネタが結構ありました。地元民的には嬉しい。

立ちっぱなしのコンサートに慣れてない母が途中足を痛めて大変そうだったのですが、MC中に「座ってもいいよ」と声をかけていたり、さらに途中休憩もあったので案外なんとかなった模様。休憩中に娘たちもたまにやる「フライヤーを敷いて靴を脱いで立つ」を実践してました。(私はよく日比谷の野音とかでやっていた。)

愛と哲学の小部屋というトークのコーナーがあって、事前に集めた質問用紙(バンギャル諸姉はインストアイベントで配られる質問用紙をA4サイズにしたものを想像して下さい)を任意に箱から引いて、それを読み上げて質問や悩み相談に答えていくというもの。男子の質問やちょうどこの日からミッチー出演シーンがOAになり始めた朝ドラの話など、いろいろありました。覚えてる範囲でかるーく書きますが、もし書いたらNGみたいな暗黙の了解がありましたら先輩ベイベー方ご教示いただければ。。。

・怒られるとすぐ泣いてしまうのを直したい。
→感情を抑える必要はないけど、3分間我慢してみよう、すぐ泣いちゃってたなら、皆の前で泣くんじゃなく(泣けば済むと思ってると思われることもあるし)3分だけ我慢して一人になって泣いてみよう。腹が立ったときとかも。

・人生に必要なもの(いくつかあったんですけど忘れた)に追加するなら
→冒険心(かっこいい)

・自分の人生にタイトルをつけるなら
→ときめきの伝道師

・五反田一郎さんの見どころ
コスプレ的な意味ではゲートル

愛と哲学の小部屋に限らずなんですけど、「男は笑って\聞き上手/」というC&Rが何度かあったのですが、これを常々言っているとしたら本当に女心をよく心得ていらっしゃる…。

あとトークについての感想なんですが、結構下ネタというかおっさんな発言もあるのですが(eg:「浴衣女子がお風呂に行くタイミング」)、それがそこまでいやらしく聞こえない辺り育ち出てるなあと思いました。一般庶民には真似できない。王子様とはいえデビュー時に載ってたMyojoのキャッチコピーが歌うイメクラくんだったのいまだに覚えてるんですけども(中学入るかそこらでした)(まだマラボーとかなんか巻いてた時代…)、曲もそうだけど妖しげな雰囲気がありながら淫靡に過ぎなくて、バランス感覚を感じます。

総合して3時間(休憩等々込みでもこの時間…!)を終えた感想は、「世界観一ミリたりともぶれてねえ…ときめきスイッチ押されっぱなしだ…半端ねえ…」でした。そこらへんのテーマパーク並に作りこまれていて、夢と魔法のホニャララとまでは言いませんが非常によく練られたエンターテイメントショーでした。周りのベイベーさんたちもお祈りポーズ状態になってる方ちょいちょいいらしたのですが、我々3人とも割と目がハートになってた自覚がある。
年1とかでもいいから、またツアーの横浜か都内公演の日がうまいこと空けられたら行きたいねーと目をキラキラさせながら帰路についたのでした。

んで家に帰ってFCの概要読んでたんですけど、偶数月に会報って書いてあって衝撃を受けました。年6回も…?そんな世界線がこの世にあるのか。世には年4回と銘打っておきながら年に3回会報が来ればいい方とか、2号分まとめてDVD会報にして送ってきたりとかそんなFCもいくらでもあるのに…。それでいて年会費5000円(初年度は入会金1000円で計6000円)だなんて…。そしてどうもFC旅行があって(国内)、しかもそれがツーショット撮影会もあり宴会もある、自分もたまに参加するような形式のアレのような気配を感じるのですが、なかなかミッチーとよくあるFC旅行という概念が結びつかなくてつらい。ツーショット撮るってなったら固まりそうだ。

【ネタバレ有】刀剣乱舞ステージのライブビューイングを見に行きました

千龝楽公演の終演後だと思って全力でネタバレしてますので、DVDまで待ちたい方はスルー推奨。


2.5次元舞台自体が初めてだったのでとても様々な意味で面白かったです。

ステージだというのに突然歌い出して何事かと思いましたが、アニメでちょうど最初の掴みが終わってOPが流れるタイミングだなーと思ったので、要するにアニメの構成とかそういうものにより近しいんだなと思えたので序盤から違和感なく見れました。炎や血の表現としての映像とかも、ライブの演出ぽいなと思ったらそれはそれでありだなと思ったし。ただ漫画の四角囲みの説明書き的な役割の後ろのテロップは最初戸惑いました。それこそ地の文というか狂言回しの語りで解決すべきことなのでは?「出陣の儀」の文字なんて、それこそ第一部隊隊長が「出陣に際し儀を執り行う」とでも一言かければすむ話じゃないか…とも。ここまで説明口調にせんでも、「いつものあれやるぞ」みたいな声掛けからのあの名乗りをやれば、ああこれ出陣前の恒例なのね、って分かるようなもんだと思うんだがなあ。うまくすれば近侍としての山姥切の成長度合いとか、三日月と山姥切の関係性とかにもふみこめるし。うーん。
話を戻して、OPといえば歌自体もうまかったしな…。兄様役の方がめちゃくちゃ歌上手い方だと聞いたので、そういうのを生かせるのもとてもいいと思った。
しかしミュも見た人からは「こっちのほうが歌が上手い」と聞いてしまって、ミュージカルとは…。
あと、殺陣、よかったです。実写というか、立ち絵ではなくアニメや三次元にまず何を期待するかといえば、好きなキャラが動いてる!話してる!生活してる!戦ってる!というところだと思うので。得物が長い人たちは期待を裏切らない感じで、短刀勢もよかったです。小夜はなんかアクションうまそうだなーというか(ゲーム中ではそこまで俊敏なキャラではないのはさておいて)全身使ってる感じがよくて、織田勢は真剣必殺出てから以降の立ち回りが個人的な好みとしてはよかったです。特に薬研、前半は前半で無駄な動きなくうまく力を受け流している感じがあってそれはそれでよかったのですが、好みとして派手な立ち回りが好きなので。せっかく舞台に高さがあるんだから、誰か上から下に飛び降りてアクションして欲しいなと思ってましたが、不動がそれをやってくれたので満足です。さすがに燭台切が出てこれる程度の高さがあるところなので階段の途中からでしたが。
全体的に、キャラが好きな層が「この役者さん、このキャラのことわかってない!」みたいに思いそうというところがなかったですね。いやガチ推しの人からしたら「○○はそんなこと言わない」があるのかもしれないけど、自分からしたら、キャラについてよく研究してる、役作りしっかりやってるんだなーという感想。薬研はイケメン度カンストしてたし三日月はつかみどころがないし所作がよかったし鶴はコメディリリーフ的なところも鶴沼民が惚れ込んでると噂の意外と男前なところも出ていた感じがあった。若干鼻眼鏡かけてそうだったし光忠はオカンみあったけども。喋り方というか声も結構声優さんの声に寄せて喋ってるのかな?と思いました。あるいはそういう声質の人を探したか。

末満氏の脚本については、一部ドロドロを期待してた勢から拍子抜けしたような感想を聞いてたので、考察勢的にはあんまり面白くないけど普通にキャラのファン、ゲームのファンが楽しめるような感じなんだろうなと思って見てました。まあだいたい予想通りで、ゲーム世界の番外編みたいな感じ、という印象。よく言えば回想に近しいものというか、新たな回想の形。公式に近いところからこの回想めいた脚本が出たということで、織田勢の回想を待ち望んでいた人たちが一番楽しく見れたんじゃないかなあ。特にこの舞台で明かされる新事実というのもなく(例えばこの公演が始まってからの情報解禁である細川回想において、小夜は歌仙からお小夜と呼ばれていることが明かされましたが、この舞台の中で兄からお小夜呼びされていたことが伏線のひとつだったんじゃないかという考察がツイッター見てたら流れてきましたが、そういう風に今後明かされることの伏線的なものはあるかもしれません、が、それはその時が来てみないと分からない)、その意味では拍子抜け感はありましたが、掘り下げという意味ではとても面白かった。

あと序盤に、あの本丸の宗三左文字はカンストしてると思いましたが、紅白戦から先で考えを改めました。宗三含め、不動以外の織田勢は極が実装されている。
終演後に、チケット譲ってくれた方と話してたのですが、ゲーム中でのステを念頭においたら、演練であのカードあったら確実に織田勢+山姥切チームが瞬殺されるだろうと…。短刀二人(状況的に不動はかなり練度が低そう)と打刀さいよわというハンデを抱え、レア4の鶴丸にしたってピーキーすぎて、3スロ太刀3人と、足は遅いものの刀種の中では打撃が高い太刀と短刀、それに脇差1人、という面子を並べられたら割と瞬殺の未来しか見えない。それが互角に打ち合えてる時点でかなりレベルの差がある…。
でも京都の展示で実物を見たとき、めっちゃいかついやん!と思ったので(なんでゲームではあんな細っこい未亡人みあるキャラになっているのか謎に思えてきたくらい)、そういう意味では本体に近いなと思った。実物を見たとき、これ普通に峰打ちでも人倒せるよねって話をしていたので、あの本体に末満本丸の宗三ならむしろ物理で和睦する勢に入れるかもしれない。

あと話題のおやつシーン。長谷部が喋れなくなってたのはともかく山姥切が完全にツボに入ってしまっていてどうすんだこれと思いましたが、後々鶴とかがおはぎの宴ネタをちょいちょいぶっ込んできていて、アドリブきいてるねえと思いました。良い。

あとカーテンコールは、光秀とそこから右に並んでた方たちがこういう場で話慣れしてるんだろうなという感じで安心して見ていられて楽しかったです。特に光秀役の方、隣の信長の影の役の方、最後に宗三に滅多斬りにされた(すごい表現だな)方。ぶっ込み方がうまい。




以下は読み飛ばしてもいいところ。

全体的にカメラワークが酷かったなと思いました。アニメ的なるものだと考えればキャラのバストアップが続くのは当然だとは思ってはいたんですが、大人数で喋るシーンとかでいちいち話者を逐一アップにするのは個人的にはいただけない…。後半になるにつれて気になりだして途中途中でちょっとイラッときました。
カーテンコール中はほんとに酷かったですね。頭下げることくらいちょっと考えればわかるんだからそんなに顔面アップいって頭下げたからって慌てて引くか?そこで引くくらいなら引きで撮ってるカメラに切り替えたりとかやれることあるでしょうに。
カメラワークに関連してではないですが、後半の本能寺の殺陣シーン、せっかく上下あるんだから上下とも使えばいいのにと思いました。遡行軍と明智軍が兼任で人数的に上下で一気にやれないという事情があったり、あと出はけも大変そうだなと思ったので仕方ないことだと後から考えて納得はしましたが、下でまず殺陣やってストップモーションで止めておいて上にスポット当ててそっちの殺陣を動かす、とかの方が多勢を相手に戦ってる感があるんじゃないかなあと思いました…。なんか空間ももったいないし時間も冗長感あるしでなんか全体的にもったいないなあと。もともとの設定って物量のある敵を相手取って、歴史を変えないために少数精鋭で立ち向かっているって話だったと思うので。
でも逆に空間空けまくっておいたほうが、空間が広いという感じは出ていいということなのかもしれません。実際広い場所なんだろうなという感じはあったので。光秀が信長を探し歩いているシーンとかもあったしね。

あと、カーテンコール中結構気になったのは、役者さんとは思えない滑舌の方結構多いですね…。楽日だから気が抜けたんだと思うことにしておきます。

携帯覚書

今日のは完全に個人用メモ。

最近安いsimカードを買って、それを運用する用の端末を中古で安く買ったんだけど、というかAndroid端末を増やしたかったのでそうしたんだけども(Androidタブレットを持ってるんだけど、タブレットの大画面でゲームアプリはやりたくなかった)、とりあえずプリインストールから消したものを列挙。

samsung push service
iチャネル
iD
contents headline
おさいふケータイ
プラグイン
カテゴリナビ
しゃべってコンシェル
トルカ
spモードメール
NOTTV
NOTTVウィジェット
声の宅配便
遠隔サポート
地図アプリダウンローダ
名刺作成DL
dブックマイ本棚

中古で電池の持ちがよくなかったのも相まって電力消費が凄まじかったのだけど、少し落ち着いた。あとdocomoの回線をそもそも持っているので、それを利用してポイントで新しい電池を買った。
まだ消せるものありそう…

それにしてもAndroidはプリインストールでもがしがしアプリが消せて快適。

あとは昔転がした回線の更新月が来るので、それを解約せねば。

何を伝えたいのかよく分からなくなった話、と、下衆の極みな話

あんまりこういう上品でない話題に乗っかるのもどうかと思いますが、というかこの記事を寝かせすぎてだいぶ時期を逸した感がありますが、椎名林檎のギブスではないけど「また二月が来たよ」ということで。まだ2月が終わる前だからいいよね。一時期よく言われていた噂のなんたらノートというやつ。
二月というのは一部ギターロック村住民のトラウマを大爆発させる季節でして、かつて、とある才気あふれるバンド(今をときめく某バンドのベースボーカルがボーカルを務めていた)のメンバーが2月初旬に突如失踪し月末には他メンバーと連絡がつくも結局解散し、出たばかりのフルアルバムのリリースツアーも全キャンセルという事件がありました。何年か前の2月の話です。
残りのメンバー二人は既に別のバンドで活躍していますし、彼自身も、精神状態はともあれ音楽的には本当に才能のある人であったので、表にはあまり出てこれないようですが結局古巣のレーベルから復帰しタイアップをもらったりと活動を続けているようで、まあその事案自体はさておいて。そのバンドが1月末、多分最後のライブとかそういう時期に対バンしてたのも某川なんとかさんのバンドだった…というかIndigo主催だったような気がするなあという事案に今思い至りました。
別に嫌いなわけではなく、流れていれば聞く程度ですが最近正直どの曲がどっちのバンドの曲だか誰かに書いた曲だかよくわかんねえよなあとはひそかに思っています。

様々な意味で下衆の極みな話題はここまでにして、前回の続きの自撮り話、というか、承認欲求を拗らせた人の話…をするつもりだったのですが、今回の記事は長い長い私信のようなものになりました。
自ら自分の首を絞めにかかっていて、それがどうもおかしな状態だと薄々感づいてはいるもののどうしたら手が離せるのかわからなくなっている友人への。
結論としては、今の努力を否定しはしないけど、傍から見ているとゴールを設定せずに新幹線に飛び乗ってしまってどこで降りたらいいのか分からなくなって、京都辺りで降りれればいいけれどそのまま博多まで向かってしまっているように見えるよ、という感じです。その人がこれを見るといいなと思いつつ。


こういう記事を読む機会があったというか人に紹介されて、アドラー心理学自体はよくわからない部分もあるのですが、納得する部分があったのですよね。他にも以前から、海外の話ですが自撮りに熱中するあまり車の運転から意識がそれて(車乗ってる最中に自撮りとか結構無茶だと思うのだが…)事故を起こして亡くなったという方の話とかを目にしたこともあったので。

自撮りも最終的には、承認欲求を埋めてほしいんですよね。ツイッターとかインスタグラムとかでは露骨にタグでレスポンス(いいねとかRTとか)クレクレする人も多いし、そうでなくても可愛くして写真を撮ればそれなりに反応が得られる。

最近になって思い至ったこととしては、相手のメンヘラを加速させたくないのであれば、安易に承認欲求を満たさない、つまり自撮りを上げても放っておくというのが一番平和な解決策なんじゃないかなというのがあります。
可愛いだとかなんだとか、もっと明確にわかりやすい判断基準としてはツイッターならRTやふぁぼ数ですね。そういう数字で(加工とはいえ)自分の顔面に点数がつく。その中の幾人かは晒しあげ目的だとしても、それよりも自分の存在にちゃんと数字がつくということに価値を感じてしまうんじゃないかなと思うんですよね。
先に挙げた記事じゃないですけども、そういう方法で承認を受け取れるんだと思ってしまうこと、無意識にそういう行動を強化するような行動はあまり避けた方がいいのかもしれない。

全く別件なのですが、いわゆる祭りになった人の関連のまとめとかを少し前に追っていたことがありまして。
彼もどうも精神的に問題を抱えている人(いわゆるボーダーとかその類)のようで、そのまとめに書き込まれていたことがこうした事例にとてもしっくりきたので、妙に印象に残っていました。
「自分で自分を正当に評価できない人間は他人からの評価が欲しいんだから、SNSであるとか匿名掲示板であるとか、そうした自分への評価に満ち溢れている場所の中毒にならないわけがない、その人が欲してやまない自分への評価があるのだから」という趣旨のことだったのですが。

少し脱線すると、私自身も元メンヘラで自分をどう評価していいのか分かっていない節があって、だから例えばはてなのスターだとかpixivの評価点数だったりとか、そういうものには非常に敏感になります。どんな場所でもそうですが、投稿してからはしばらくそういう数字の類を定期的にチェックしているので。正直なところ。
何がまだましな方向に動いているかというと、例えスターがつかなくてもツイッターでいくつか意見とか参考になる情報だとかを挙げて反応してくれる人がいるだとか、そういうところで納得できているのでまだいいのかもしれない。あと、自分自身の見た目とかキャラクターとかを切り売りしているわけではないのがまだ救いというか。

最近、pixivでは自分が気にくわない(単にそのくらいしか価値がないと判断した場合も含むんだろうと思うのだがよくわからない)投稿に最低評価点である1点だけ押していくという行動様式があるというものがある、さらには荒らし用に1点評価をするためだけの垢を持っているユーザーすらいるという知見を得たのですが、「別に※とかいらんブクマして点数つけてくれ」系ユーザーであるところの自分はその行動があまりストレスにならないんだなーと思いました。真にへこむべきはその1点だけしかつかなかった場合と評価がまったくされなかった場合だなと。
各所で叩かれたりなんだりして凹んでいる人に対して「相手は君の悪意を引っ張り出したり、悪意をぶつけられておろおろしているところを見て笑いたいだけなのだから放っておくべきだ」とよく言っているのですが、そういう意味でもいい気の持ちようなのかもしれない。笑

閑話休題
先に挙げた友人の話を少しします。

自撮りだけが原因ではないのですが、彼女はこの1年ばかり完全に精神をやられている…ように、私や一部友人たちには見えています。
一度醜形恐怖の類ではないかと指摘したことがあって、本人は「醜形恐怖みたいに美しい人がありもしないことに怯えているわけではなくて、ただブスという現実にへこんでいるだけだから病気ではない」と主張していたのですが、傍から見ている限りでは、四六時中自分の顔面がいかに醜いか、それによっていかに不幸になっているかしか考えられず、その考えがもとで鬱々しているという段階で十分に病的というか異様な状態だとは思います。
正直に言って今彼女に必要なのは美容整形の類でも依存できる恋人でもなんでもなく心療内科の類かカウンセリングだと思う。

もともとあまり自己評価の高い方ではなくて、そうなった原因は私にはわかりかねるのだけれど(個人の事情だからあまり突っ込んでも仕方がない)、ツイッターでも自虐ネタに走ることが多く。自虐ネタもその人の精神を歪ませると一部では評判ですが、絵に描いたように自分自身が吐いた自分を貶める言葉で病んでいってしまった、そんなふうに、私からは見えています。

タイムリーにツイッターこんな記事が流れていたのを見かけたのですが、で私これを読んでこういうこと

を書いたのですが、金も見た目の美しさもあるにこしたことはないけれどそれがゴールでは決してないのよね。だから金持ちと結婚したから幸せな家庭が手に入るわけでもなければ、整形して美しくなったからって素敵な彼氏ができて結婚できるわけでもない。むしろ卑屈な美人ってものすごい厄介な相手に引っかかる率が高い気がする。
それはさておいて、綺麗になれば幸せになれる、痩せれば愛される、そういう考えもこの、理想の家庭の形があれば幸せになれるみたいなものだよなあと思いました。自分自身の母親も割とこのブログの方のお母さんみたいなところがあったんですよね。いろいろあって家庭内のヒエラルキーを考えたときに私の力が強くなったことと、年を経るにつれて彼女自身の問題が解決されていったことで今は普通に付き合えていると思いますが。

またまた脱線して自虐ネタというか卑屈なことを言う人が嫌がられる理由は「卑屈が過ぎるとその言動は傲慢な人間のそれと一致するからだ」というのを何かで見かけて目から鱗でした。そういう言い方があるのか。


今回の記事はなんか整理されてなくてぐちゃぐちゃしているので(下書きのファイル名が0207なのでおよそ一月くらいこね回している)、一度降ろして書き直すかも。そうしたい。