俄か雨

しがないバンギャルのたわごと

何を伝えたいのかよく分からなくなった話、と、下衆の極みな話

あんまりこういう上品でない話題に乗っかるのもどうかと思いますが、というかこの記事を寝かせすぎてだいぶ時期を逸した感がありますが、椎名林檎のギブスではないけど「また二月が来たよ」ということで。まだ2月が終わる前だからいいよね。一時期よく言われていた噂のなんたらノートというやつ。
二月というのは一部ギターロック村住民のトラウマを大爆発させる季節でして、かつて、とある才気あふれるバンド(今をときめく某バンドのベースボーカルがボーカルを務めていた)のメンバーが2月初旬に突如失踪し月末には他メンバーと連絡がつくも結局解散し、出たばかりのフルアルバムのリリースツアーも全キャンセルという事件がありました。何年か前の2月の話です。
残りのメンバー二人は既に別のバンドで活躍していますし、彼自身も、精神状態はともあれ音楽的には本当に才能のある人であったので、表にはあまり出てこれないようですが結局古巣のレーベルから復帰しタイアップをもらったりと活動を続けているようで、まあその事案自体はさておいて。そのバンドが1月末、多分最後のライブとかそういう時期に対バンしてたのも某川なんとかさんのバンドだった…というかIndigo主催だったような気がするなあという事案に今思い至りました。
別に嫌いなわけではなく、流れていれば聞く程度ですが最近正直どの曲がどっちのバンドの曲だか誰かに書いた曲だかよくわかんねえよなあとはひそかに思っています。

様々な意味で下衆の極みな話題はここまでにして、前回の続きの自撮り話、というか、承認欲求を拗らせた人の話…をするつもりだったのですが、今回の記事は長い長い私信のようなものになりました。
自ら自分の首を絞めにかかっていて、それがどうもおかしな状態だと薄々感づいてはいるもののどうしたら手が離せるのかわからなくなっている友人への。
結論としては、今の努力を否定しはしないけど、傍から見ているとゴールを設定せずに新幹線に飛び乗ってしまってどこで降りたらいいのか分からなくなって、京都辺りで降りれればいいけれどそのまま博多まで向かってしまっているように見えるよ、という感じです。その人がこれを見るといいなと思いつつ。


こういう記事を読む機会があったというか人に紹介されて、アドラー心理学自体はよくわからない部分もあるのですが、納得する部分があったのですよね。他にも以前から、海外の話ですが自撮りに熱中するあまり車の運転から意識がそれて(車乗ってる最中に自撮りとか結構無茶だと思うのだが…)事故を起こして亡くなったという方の話とかを目にしたこともあったので。

自撮りも最終的には、承認欲求を埋めてほしいんですよね。ツイッターとかインスタグラムとかでは露骨にタグでレスポンス(いいねとかRTとか)クレクレする人も多いし、そうでなくても可愛くして写真を撮ればそれなりに反応が得られる。

最近になって思い至ったこととしては、相手のメンヘラを加速させたくないのであれば、安易に承認欲求を満たさない、つまり自撮りを上げても放っておくというのが一番平和な解決策なんじゃないかなというのがあります。
可愛いだとかなんだとか、もっと明確にわかりやすい判断基準としてはツイッターならRTやふぁぼ数ですね。そういう数字で(加工とはいえ)自分の顔面に点数がつく。その中の幾人かは晒しあげ目的だとしても、それよりも自分の存在にちゃんと数字がつくということに価値を感じてしまうんじゃないかなと思うんですよね。
先に挙げた記事じゃないですけども、そういう方法で承認を受け取れるんだと思ってしまうこと、無意識にそういう行動を強化するような行動はあまり避けた方がいいのかもしれない。

全く別件なのですが、いわゆる祭りになった人の関連のまとめとかを少し前に追っていたことがありまして。
彼もどうも精神的に問題を抱えている人(いわゆるボーダーとかその類)のようで、そのまとめに書き込まれていたことがこうした事例にとてもしっくりきたので、妙に印象に残っていました。
「自分で自分を正当に評価できない人間は他人からの評価が欲しいんだから、SNSであるとか匿名掲示板であるとか、そうした自分への評価に満ち溢れている場所の中毒にならないわけがない、その人が欲してやまない自分への評価があるのだから」という趣旨のことだったのですが。

少し脱線すると、私自身も元メンヘラで自分をどう評価していいのか分かっていない節があって、だから例えばはてなのスターだとかpixivの評価点数だったりとか、そういうものには非常に敏感になります。どんな場所でもそうですが、投稿してからはしばらくそういう数字の類を定期的にチェックしているので。正直なところ。
何がまだましな方向に動いているかというと、例えスターがつかなくてもツイッターでいくつか意見とか参考になる情報だとかを挙げて反応してくれる人がいるだとか、そういうところで納得できているのでまだいいのかもしれない。あと、自分自身の見た目とかキャラクターとかを切り売りしているわけではないのがまだ救いというか。

最近、pixivでは自分が気にくわない(単にそのくらいしか価値がないと判断した場合も含むんだろうと思うのだがよくわからない)投稿に最低評価点である1点だけ押していくという行動様式があるというものがある、さらには荒らし用に1点評価をするためだけの垢を持っているユーザーすらいるという知見を得たのですが、「別に※とかいらんブクマして点数つけてくれ」系ユーザーであるところの自分はその行動があまりストレスにならないんだなーと思いました。真にへこむべきはその1点だけしかつかなかった場合と評価がまったくされなかった場合だなと。
各所で叩かれたりなんだりして凹んでいる人に対して「相手は君の悪意を引っ張り出したり、悪意をぶつけられておろおろしているところを見て笑いたいだけなのだから放っておくべきだ」とよく言っているのですが、そういう意味でもいい気の持ちようなのかもしれない。笑

閑話休題
先に挙げた友人の話を少しします。

自撮りだけが原因ではないのですが、彼女はこの1年ばかり完全に精神をやられている…ように、私や一部友人たちには見えています。
一度醜形恐怖の類ではないかと指摘したことがあって、本人は「醜形恐怖みたいに美しい人がありもしないことに怯えているわけではなくて、ただブスという現実にへこんでいるだけだから病気ではない」と主張していたのですが、傍から見ている限りでは、四六時中自分の顔面がいかに醜いか、それによっていかに不幸になっているかしか考えられず、その考えがもとで鬱々しているという段階で十分に病的というか異様な状態だとは思います。
正直に言って今彼女に必要なのは美容整形の類でも依存できる恋人でもなんでもなく心療内科の類かカウンセリングだと思う。

もともとあまり自己評価の高い方ではなくて、そうなった原因は私にはわかりかねるのだけれど(個人の事情だからあまり突っ込んでも仕方がない)、ツイッターでも自虐ネタに走ることが多く。自虐ネタもその人の精神を歪ませると一部では評判ですが、絵に描いたように自分自身が吐いた自分を貶める言葉で病んでいってしまった、そんなふうに、私からは見えています。

タイムリーにツイッターこんな記事が流れていたのを見かけたのですが、で私これを読んでこういうこと

を書いたのですが、金も見た目の美しさもあるにこしたことはないけれどそれがゴールでは決してないのよね。だから金持ちと結婚したから幸せな家庭が手に入るわけでもなければ、整形して美しくなったからって素敵な彼氏ができて結婚できるわけでもない。むしろ卑屈な美人ってものすごい厄介な相手に引っかかる率が高い気がする。
それはさておいて、綺麗になれば幸せになれる、痩せれば愛される、そういう考えもこの、理想の家庭の形があれば幸せになれるみたいなものだよなあと思いました。自分自身の母親も割とこのブログの方のお母さんみたいなところがあったんですよね。いろいろあって家庭内のヒエラルキーを考えたときに私の力が強くなったことと、年を経るにつれて彼女自身の問題が解決されていったことで今は普通に付き合えていると思いますが。

またまた脱線して自虐ネタというか卑屈なことを言う人が嫌がられる理由は「卑屈が過ぎるとその言動は傲慢な人間のそれと一致するからだ」というのを何かで見かけて目から鱗でした。そういう言い方があるのか。


今回の記事はなんか整理されてなくてぐちゃぐちゃしているので(下書きのファイル名が0207なのでおよそ一月くらいこね回している)、一度降ろして書き直すかも。そうしたい。