俄か雨

しがないバンギャルのたわごと

ボヘミアン・ラプソディーを見に行きました 〜それでも物語を求める私たち〜 ①

ボヘミアン・ラプソディーを見に行きました。

標題の通りです。ボヘミアン・ラプソディーを見に行きました。

家族がQUEEN好きで、私自身はとてつもなく好きというわけではないけどそこそこ好きで一通り聞いています。今回は家族がspotifyでこの映画のサントラが配信されているのを発見したので、それを聞きこんで行くくらいにはうっすらですが予習もしました。ちなみに家族と行きましたが、家族は2周目です。

このエントリ書くのにえっらい時間かかってるんで(見に行ったのは11月末位)、もうネタバレしても平気かとは正直思うんですがまだ公開中だし、一応話の筋に関わるようなことは書いてないつもりですが、まだ見てなくて情報も集めないようにしてると言う方がいたら、この章は一応気を付けて読んでくださいな感じではあるかなと思います。

ていうか調べたらTOHOシネマズで応援上映やってましたね。別に応援はしなくてもいいんですけどライブシーンでのシンガロング(とかドンドンパッとかエーオのC&Rとか)は心の底からやりたいですね。まだやってんのかな。

あれは事実そのまんまではなくそれを基にしたフィクションであるというのはあちこちで言われている通りだろうし、だから人によってはそれは「見たいもの」ではないのかもしれないし、自分が知る「クイーン」ではない、ということもあるかもしれない。実際に「事実と違う」とか「ストレートウォッシュ」とかまあその他いろいろ批評も受けてますしね。
でも、リアルタイムを知らない人間*1から見た伝説のバンドの物語」として見たら、まあ実際はちょいちょい違うっぽいぞという知識とは別として、そういうものなのか、と感じられる程度にはバンドの物語のように思えました。私にはね。
ライブエイドの映像自体は見ずに映画を見たのですが、でもあのライブエイドのシーンはすごいなーと思いました。多分あのシーンかなり手間かかってそうという印象でした。後から制作時の話(飛行場にあのセット作ったとかコップの数も同じとか)とかライブエイドの映像(コメントに「ラミはこの映像100万回くらい見たに違いない」みたいなのがあって笑った。同感だ)とかをyoutubeで見てなるほどなーと思った。

あとこの辺はゆるゆる感想なんですがブライアン・メイ役の役者さんすごい似てましたね。
ついでに、Another one bites the dust*2制作のシーンなんですが、フレディとロジャーが言い合ってる横でジョンがベース弾き始めて、それいいなみたいな流れでジャムりだすの、いやーそんなうまく行くかいなとは思いましたが、あの曲のベースこうやって聞くとちょうかっこいいな~わかるわ~ですべてが結論づいたので良しとします。超クール。

あ、あと、ツイッターからこのブログに来るような層向けに書いておくと、最後に字幕だかなんかの監修でエッセイストもといライターM氏の名前がクレジットされてます。界隈だと、自分の好きなバンドをageたいばかりにどうも他を妙な貶し方しちゃって結果ageたいバンドのファンからも反感買ってるあの人です。虜周辺でも嫌ってる人いるって相当だと思う。最近あまりバンドのインタビュー絡みで見かけないな干されてるのかなと思ったら、こういう仕事やってたんですね。元々洋楽方面か何かの雑誌の編集部にいたか何かしてた人のはずなので、そちらにお戻りいただいた方が双方平和かなと思いますもうこちらに出てこなくて大丈夫です

個人的に、死んだ人間を使って何かするのはあまり好きではないのですが、これは別に嫌な感じしなかったな。一番対極というか、いつまで使うんじゃと思っているのがhide周辺ですね。もう何年目だよ。Dragon Ashはバンドとしてはすっと先に進んだ印象あるし、シクセブにしてもその翌年のシクフェスこそ引っ張り出してきた感はあったけど(割と直前だったから当然ではある)、今はもうそれが日常感あるしな。

人を見る趣味=物語

そしてもう一つ、この映画を見て改めて思ったのが、やっぱり人を見る趣味の人たちは「物語」を見るのが好きでその対象を見続けているんだろうなということ。人を見る趣味の人って物語を求めてるんだなあと思った。それがどんな形の物語であれ。あとそれから、その物語に対する解釈がどうであれ。だから物語に対する解釈違いだっつってもめるんですよね。バンド(でなくても、人が集まって何かするもの)に対する愛の示し方について割と常時どこかしらで燃えてるの、こういうのが原因なんじゃないかな。こういう映画の出来不出来論争もある意味そういう解釈違いに対する論争なんじゃないかなと思いますけど。

実際自分が聞く限りでも、バンド好きっていう人は割とそういう物語を見ることを含めて好んでいる、という節がある。バンドに限ったことではないですけどね。48グループのドキュメンタリー映画だとか、深夜にやってたアイドルグループのドキュメンタリー番組だとか。今やってるかどうかは知りませんが、当時推してたグループが昔出たことがあって見たことがあります。人間が集まる以上何かしらの出来事が起こって、そこに所属していない人々はそれを「彼らの物語」として見る。そういう図です。

当初の話題、ボヘミアンラプソディーに関して言えば、あれはむしろフレディの伝記映画だという印象を受けましたが、フレディの視点という強烈なフィルターはかかっているけれども、それでも(一時期はしっこに追いやられていたとしても)バンドのストーリーは切り離せないものだしね。

ただ、この手の物語、最近ニュアンスが変わってるんじゃないかな、ということを思います。一言でいうなら、「選ばれし者の物語(特に、選ばれしものの苦悩)」から、「彼も人なり」への流れというか。
映画についても、見た友人の感想に「見せられる範囲のことを知りたいのであって別に裏まで全部知りたいとは思わないけど、それでも弱い部分を見たらちゃんと人間なんだなと思う(ざっくり要約しました)」というのがあって。
ロジャーとブライアンはこの映画を大衆向け、一般向けのものにする意図を持ってたというようなことが言われています。まさに上でいうような「出せる範囲(一般的に共感を得られる範囲+α程度)での『人間・フレディ・マーキュリー』」にしたかったんじゃないかなあと思います。

話が飛びますが、全然関係ないビジネス系の記事だったはずなのですが、確か東洋経済の記事(へのコメントかも、もしかしたら)で、おっさんたちは社長とかCEOとかそういう人たちをやたら神か皇帝のように、別世界の存在として崇め奉る傾向があるが若い人にはそういう見方は薄く、違う存在というわけではなくただ役割の違いだけという見方が強いように思うというのを見た記憶があります。何で見たんだ。
これもざっくりと総括として同じ結論に至る例なんですけど、そもそも論として、他人を何か現人神かなにかのように崇め奉る傾向そのものが、年々薄まっているのかなと思います。良いか悪いかは別として。

そもそもが消費全体の傾向として「モノ」を消費することから「コト」、体験を消費する方向にシフトしてきていると言われている昨今。音楽業界でいうならライブ自体も、なにかこう圧倒的なものを浴びるとか、世界観の表現を鑑賞するというよりはむしろ、一緒に楽しむ、一緒になって飛んだり跳ねたり踊ったり、誰かが運動会化みたいなことを言ってた記憶があるのですけども、そういうものが主眼になっているような感もあり。
この運動会化、勿論界隈だけじゃなくて、音楽業界においては割と広いジャンルで言われていることのように聞こえます。いろんなライターさんが書いてるような話で、私が具体的に見たのは藤谷千明氏だっけな。すごくうろな引用した感じになってしまった。
音楽フェスという体験を消費するという風潮が盛り上がった結果「フェスでは盛り上がるし客も呼べる(でもワンマンが埋まらない)バンド」は重宝されるけどなかなか厳しい部分もあるようですし*3、あとは「客を躍らせないバンド」はどうしても伸びの勢いがゆっくりに見えるんですよね。ロキノン界隈でも、同じ時期に出てきて同じようなイベントに出ていた2つのバンドがあったら、ダンスロックメインの一つは時流を掴んでどかんとバカ売れ、割と聞かせる系のもう一つは、動員も確実に増えてはいるんですけど比べたらはるかにゆっくりペース、とかありますし。後者の系統のバンドをいくつか見に行ってるのですが、実際どこも客はまあ増えないかせいぜいがじりじり微増ペースくらいだわ……。下がるよりはまだマシか。

話を戻す。何か、共通の体験とか共感とかリアリティとか、キーワードがその辺にシフトしてきたような感じ。ちょっと長くなってきたので界隈の具体的な例は記事を改めて書こうと思いますが、音楽系に限らず俳優さんとか(特に若手)もそうであるような感じがあるけど、人前に立つ人、「人格そのもの」というか、少なくとも、「人前に立つ仕事をする者としての人格」を切り売りすることを求められてる感じある。むしろ、メディアの変化だから仕方ないのだろうけど、SNSとかがこれだけ普及してしまうと、それらを一切遮断しない限りどこかから「人間味」みたいなものが漏れてしまうのは当然なわけで。

ただ、その辺は私統計を取ったわけでも経験者に聞いたわけでもないので確信を持って書いているわけではないですが、人間味を出さないとか人格を消費されることによる消耗を防ぐとか、まあ何らかの理由によりバンド/バンドマンとしての人格でSNSの類を一切やらないことって、メリットデメリットはどんなもんなんだろうなと思います。メリットもありそうだけどそれなりにデメリットも大きそうな。
SNSやめた例ってのも見ないわけではないけど、そもそも放置状態で活用していない(=やろうがやらなかろうがさほど影響はない)とか、何か言えば炎上するからむしろ全部消して黙ったり発信をクローズドな場所だけに限定したり、とにかく何らかの制限をした方がメリットが大きいとか、そういう例ばかりだからなあ。


長くなってきたので続きは次回に回します。

*1:Live Aidがあった頃の生まれ

*2:ある意味うまい訳なんでしょうが、「地獄へ道連れ」って邦題は正直どうなの

*3:ワンマンツアーするっていわれてもフェスで散々見てるからねえ