俄か雨

しがないバンギャルのたわごと

何を伝えたいのかよく分からなくなった話、と、下衆の極みな話

あんまりこういう上品でない話題に乗っかるのもどうかと思いますが、というかこの記事を寝かせすぎてだいぶ時期を逸した感がありますが、椎名林檎のギブスではないけど「また二月が来たよ」ということで。まだ2月が終わる前だからいいよね。一時期よく言われていた噂のなんたらノートというやつ。
二月というのは一部ギターロック村住民のトラウマを大爆発させる季節でして、かつて、とある才気あふれるバンド(今をときめく某バンドのベースボーカルがボーカルを務めていた)のメンバーが2月初旬に突如失踪し月末には他メンバーと連絡がつくも結局解散し、出たばかりのフルアルバムのリリースツアーも全キャンセルという事件がありました。何年か前の2月の話です。
残りのメンバー二人は既に別のバンドで活躍していますし、彼自身も、精神状態はともあれ音楽的には本当に才能のある人であったので、表にはあまり出てこれないようですが結局古巣のレーベルから復帰しタイアップをもらったりと活動を続けているようで、まあその事案自体はさておいて。そのバンドが1月末、多分最後のライブとかそういう時期に対バンしてたのも某川なんとかさんのバンドだった…というかIndigo主催だったような気がするなあという事案に今思い至りました。
別に嫌いなわけではなく、流れていれば聞く程度ですが最近正直どの曲がどっちのバンドの曲だか誰かに書いた曲だかよくわかんねえよなあとはひそかに思っています。

様々な意味で下衆の極みな話題はここまでにして、前回の続きの自撮り話、というか、承認欲求を拗らせた人の話…をするつもりだったのですが、今回の記事は長い長い私信のようなものになりました。
自ら自分の首を絞めにかかっていて、それがどうもおかしな状態だと薄々感づいてはいるもののどうしたら手が離せるのかわからなくなっている友人への。
結論としては、今の努力を否定しはしないけど、傍から見ているとゴールを設定せずに新幹線に飛び乗ってしまってどこで降りたらいいのか分からなくなって、京都辺りで降りれればいいけれどそのまま博多まで向かってしまっているように見えるよ、という感じです。その人がこれを見るといいなと思いつつ。


こういう記事を読む機会があったというか人に紹介されて、アドラー心理学自体はよくわからない部分もあるのですが、納得する部分があったのですよね。他にも以前から、海外の話ですが自撮りに熱中するあまり車の運転から意識がそれて(車乗ってる最中に自撮りとか結構無茶だと思うのだが…)事故を起こして亡くなったという方の話とかを目にしたこともあったので。

自撮りも最終的には、承認欲求を埋めてほしいんですよね。ツイッターとかインスタグラムとかでは露骨にタグでレスポンス(いいねとかRTとか)クレクレする人も多いし、そうでなくても可愛くして写真を撮ればそれなりに反応が得られる。

最近になって思い至ったこととしては、相手のメンヘラを加速させたくないのであれば、安易に承認欲求を満たさない、つまり自撮りを上げても放っておくというのが一番平和な解決策なんじゃないかなというのがあります。
可愛いだとかなんだとか、もっと明確にわかりやすい判断基準としてはツイッターならRTやふぁぼ数ですね。そういう数字で(加工とはいえ)自分の顔面に点数がつく。その中の幾人かは晒しあげ目的だとしても、それよりも自分の存在にちゃんと数字がつくということに価値を感じてしまうんじゃないかなと思うんですよね。
先に挙げた記事じゃないですけども、そういう方法で承認を受け取れるんだと思ってしまうこと、無意識にそういう行動を強化するような行動はあまり避けた方がいいのかもしれない。

全く別件なのですが、いわゆる祭りになった人の関連のまとめとかを少し前に追っていたことがありまして。
彼もどうも精神的に問題を抱えている人(いわゆるボーダーとかその類)のようで、そのまとめに書き込まれていたことがこうした事例にとてもしっくりきたので、妙に印象に残っていました。
「自分で自分を正当に評価できない人間は他人からの評価が欲しいんだから、SNSであるとか匿名掲示板であるとか、そうした自分への評価に満ち溢れている場所の中毒にならないわけがない、その人が欲してやまない自分への評価があるのだから」という趣旨のことだったのですが。

少し脱線すると、私自身も元メンヘラで自分をどう評価していいのか分かっていない節があって、だから例えばはてなのスターだとかpixivの評価点数だったりとか、そういうものには非常に敏感になります。どんな場所でもそうですが、投稿してからはしばらくそういう数字の類を定期的にチェックしているので。正直なところ。
何がまだましな方向に動いているかというと、例えスターがつかなくてもツイッターでいくつか意見とか参考になる情報だとかを挙げて反応してくれる人がいるだとか、そういうところで納得できているのでまだいいのかもしれない。あと、自分自身の見た目とかキャラクターとかを切り売りしているわけではないのがまだ救いというか。

最近、pixivでは自分が気にくわない(単にそのくらいしか価値がないと判断した場合も含むんだろうと思うのだがよくわからない)投稿に最低評価点である1点だけ押していくという行動様式があるというものがある、さらには荒らし用に1点評価をするためだけの垢を持っているユーザーすらいるという知見を得たのですが、「別に※とかいらんブクマして点数つけてくれ」系ユーザーであるところの自分はその行動があまりストレスにならないんだなーと思いました。真にへこむべきはその1点だけしかつかなかった場合と評価がまったくされなかった場合だなと。
各所で叩かれたりなんだりして凹んでいる人に対して「相手は君の悪意を引っ張り出したり、悪意をぶつけられておろおろしているところを見て笑いたいだけなのだから放っておくべきだ」とよく言っているのですが、そういう意味でもいい気の持ちようなのかもしれない。笑

閑話休題
先に挙げた友人の話を少しします。

自撮りだけが原因ではないのですが、彼女はこの1年ばかり完全に精神をやられている…ように、私や一部友人たちには見えています。
一度醜形恐怖の類ではないかと指摘したことがあって、本人は「醜形恐怖みたいに美しい人がありもしないことに怯えているわけではなくて、ただブスという現実にへこんでいるだけだから病気ではない」と主張していたのですが、傍から見ている限りでは、四六時中自分の顔面がいかに醜いか、それによっていかに不幸になっているかしか考えられず、その考えがもとで鬱々しているという段階で十分に病的というか異様な状態だとは思います。
正直に言って今彼女に必要なのは美容整形の類でも依存できる恋人でもなんでもなく心療内科の類かカウンセリングだと思う。

もともとあまり自己評価の高い方ではなくて、そうなった原因は私にはわかりかねるのだけれど(個人の事情だからあまり突っ込んでも仕方がない)、ツイッターでも自虐ネタに走ることが多く。自虐ネタもその人の精神を歪ませると一部では評判ですが、絵に描いたように自分自身が吐いた自分を貶める言葉で病んでいってしまった、そんなふうに、私からは見えています。

タイムリーにツイッターこんな記事が流れていたのを見かけたのですが、で私これを読んでこういうこと

を書いたのですが、金も見た目の美しさもあるにこしたことはないけれどそれがゴールでは決してないのよね。だから金持ちと結婚したから幸せな家庭が手に入るわけでもなければ、整形して美しくなったからって素敵な彼氏ができて結婚できるわけでもない。むしろ卑屈な美人ってものすごい厄介な相手に引っかかる率が高い気がする。
それはさておいて、綺麗になれば幸せになれる、痩せれば愛される、そういう考えもこの、理想の家庭の形があれば幸せになれるみたいなものだよなあと思いました。自分自身の母親も割とこのブログの方のお母さんみたいなところがあったんですよね。いろいろあって家庭内のヒエラルキーを考えたときに私の力が強くなったことと、年を経るにつれて彼女自身の問題が解決されていったことで今は普通に付き合えていると思いますが。

またまた脱線して自虐ネタというか卑屈なことを言う人が嫌がられる理由は「卑屈が過ぎるとその言動は傲慢な人間のそれと一致するからだ」というのを何かで見かけて目から鱗でした。そういう言い方があるのか。


今回の記事はなんか整理されてなくてぐちゃぐちゃしているので(下書きのファイル名が0207なのでおよそ一月くらいこね回している)、一度降ろして書き直すかも。そうしたい。

顔出しはNGで

タイトルに特に含意はないよ!たぶんね!

書く書く詐欺をしている早番だの仕切りだのという話の流れで、他の世界の良番に相当するもの、つまり良席とかそういう話を読み漁っていた過程で見つけた記事に、なんでジャニヲタの若い子は平気でインターネット上で全世界に顔晒して友達作ろうとするんだろう?という趣旨の記事を見つけたので、思ったことを書いていこうかなと思います。はてブロ内なんで言及リンク飛ばしてもいいような気もするのですが、ここ最近は知らん人からフォローされただの過去記事にふぁぼされただので揉める時代なのでとりあえずその辺は慎重になっていこうかと。様子見て貼ります。

単純に言うと、正直ジャニーズ系に限ったことではなくて、自分の観測範囲だとバンギャルロキノン女子もだいたいそうだよねという。ジェネギャ案件という方が正しいかも。
っていうか最近の子たちってびっくりするくらいインターネットで顔出すことに抵抗ないよな!?
抵抗がないどころか、自撮りを定期的に全世界に公開しつづけないと死んでしまうんじゃないかというような人まで存在するしな。これは本人の気質や承認欲求拗らせてる等といったコンディションの問題も大きいでしょうが。

この事案については、実は自分のツイッター鍵垢のフォロワー間というとてつもなく限定された空間で複数回話題になったことがあります。まあ綺麗に意見が割れましたね…。
鍵垢フォロワーの年齢構成が、1982~86年がメインの30前後と89年あたりのいわゆる平成っ子たちが同数程度、あとは70年代生まれのお姉さん、というものなんですが、30代前後は概ね「どこの誰かが見ているかわからないし、それこそ顔の一部でも、特徴が分かればある程度の推察は可能(服だとか持ち物の写真を併せて載せたりしている場合、それも合わせて個人の特定はさらに容易になる)だからその必要がない限り無闇に公開しないほうがいい」という見解で、89年世代の方はというと「危険だと言われても実害を感じてないし、顔出しはしてるけど盛ってるものばかりだからライブハウスで出くわしたところで実物と一致するとは思えないし、もし何らかの面倒ごとに巻き込まれたら公開をやめればいいだけのこと」という見解だったのですよね。

上の例でも挙げた通り、体感では傾向が割れてくるのが概ね89年頃以降生まれの子あたりから。ジャスト平成ですね。
どこかで、「30くらいから平成頭くらいまでの人たちはインターネットについてまともな教育を受けていないからやらかす率が高い」というのを読んだことがあって、30前後の人に関しては半分正解で半分は当たってないと思います。
私の世代だと、大学でさらっとPCについての授業を受けたくらいで、パソコンは仕事で使うくらいにしか使用せず、スマホタブレットが出始めてようやく(それらをパソコンやデジカメの代わりとして)使用しだしたという人も一定数いて、そういう層は普通にインターネット上に個人情報垂れ流したりするので、そういう層については正解。でも、そうでない層は、それこそダイヤルアップでちまちま繋いでは切ってオフラインで作業して繋ぎなおして、という時代を経て(高校時代の私のことです)、大学~社会人になってPCが少し手頃になり、常時接続の環境も整うようになった頃からサイトを作ってみたりエンピツやらはてなダイアリーやらに日記を作ってみたり全盛期の2ちゃんねるに入り浸ってみたりするわけです。そういう層のだいたいが何らかの趣味を持ってる層*1なんですけども。
そうなればこのサブカル龍田ちゃんbot

じゃないけど各種炎上案件は見てるよね当然。必然的に自分の情報をインターネットに晒すことには慎重になります。

でも若い子についてはどうなんだろう。正直どの程度のリテラシーを学校教育とかで得られるのかは知りませんが(ことインターネットの扱いについては2016年現在でも学校教育って正直あまり意味ないような気がしている)、89年代生まれとその前後がエアポケットという説も現状根拠薄弱ながら体感としては近いのでどうにも納得してしまう。

ちょうどこの記事を再編集し始めたころに出たタイムリーなエントリがこちら
おばさんたちはinstagramに来ないでほしい、とか、青春基地の話とか - ヨシオカの頭の中

なんですが、若い子特有の世界の狭さというか、自分たちの世界に知らん人が入ってくるみたいな感覚でいるっていうのはツイッターとかにちょいちょい書き散らしたような内容で、やっぱりそういうことなんだよなあと思いながら読んでいました。うまく説明してくださってるのであまり深く言及しなくて済みました。笑 いやもうちょい書きますけども。
上述したような平成生まれくらいの年の子ってまだ今一つインターネット上で制限のない空間に放り出したものはワールドワイドに広がってしまうっていう感覚やっぱり薄いように思う。その年ですら、なので、況やそれより若い学生さんをや、といったところ。追加の要因として上がりそうなのが、LINEでグループ組むのが主流になってる世代だしなあ。若いことに起因する世界の狭さに、グループ内の人にしか見えないコミュニケーションに慣れているということがプラスされれば、全世界公開の場所に出てきても「相互フォローの人は20人しかいないし大丈夫」となるかもしれない。

若い子たちの言い分として理解できるところとしては、確かに最近の自撮りアプリや画像編集アプリの進化ってものすごくて、30代以上のおたくが悶絶しそうな表現で言うと美化120%どころか2~300%くらいのものは作り上げられる。写真を撮る段階から光の当て方やらぼかしやら何やらで補正してくれて、加工アプリは一部の機能だけ見たらPCの画像編集並みで、化粧ができるどころか骨格から弄るくらいのことができたりする。確かに顔や体型だけならいくらでも弄れるので、ぱっと見でああこの人だ、という判断は難しくなりました。
ただ、だからと言って「ほら写真くらいで特定なんか出来ないじゃん」というのは早計です。答えは簡単、往々にして写真を上げてる子というのはライブハウスなりなんなり、会場で友達に名前を呼ばれる機会があるから。ご自慢の小物と顔立ち(雰囲気やそれこそ手とかそういった補正をかけていないパーツ)でも「もしかして」くらいは思われるのだから、そこで名前を呼ばれたら決定打。
まあ基本的には顔が割れてたところでどうということはない(はずな)のですが、狭い社会、まあいろいろ起こり得ます。女の嫉妬がどうという言い方はしたくありませんが(女の嫉妬もそれはそれで面倒な話ではあるが男の嫉妬の方が手段を選ばない分えげつない)、故意ではなくても結果的に相手に不利益を与えたとか、そうでなくても単に相手にとって妬ましい出来事が起こった程度でやいのやいの因縁を付けられてしまうご時世、リスクヘッジはなるべくしておいた方がいいしそれを考えたらうかつに様々な情報を開示しない方がいい。情報の断片でも、積み上げればある程度のことは特定可能ですしね。結果的にこの問題に対する自分の回答としては、以前こういう話題になったときと変わらず「悪いこた言わないから、うかつに顔写真とかほいほい全世界公開でうpすんなよー」に納まります。

あと邦楽ロック村の若い子によく見かけるのは、その日の格好の自撮りを上げたり、ツイッターでその写真をアイコンにしたりした上でメンバーに話しかける(「今日物販で(対バンでそのバンドの出番が終わった後に/終わった後会場の外で etc)お話ししたんですが、覚えてますか?」)っていうのがありますね。バンギャルの場合、最近はツイッターのリプ垢ってのが増えてきましたけど何年か前まではアメブロが主にその役割を担っていました。アメなうをやってる人も多かったんで、なうをフォローして話しかけたりするためにも必要だったような。で今は結局のところ割合的にどうなんだろ。

バンギャルにアメーバのアカウント持ってる率が非常に高いのは、オフィシャルブログ/メンバーブログをアメーバに開設しているバンドが結構な数いて*2、友達登録した人限定の記事を読んだり、ペタやいいねを押すためにはアカウントが必要だからというのがあると個人的には思っています。ただ、自分自身もアカウント持ってるのですが、アメーバの何が嫌って、何よりも大きかったのがスマホアプリのUIがクソすぎるということなんですよね…。アメブロってどの機能もそこそこ整えられていて、なんとなくおしゃれなブログが作りたいような層にとってはうってつけですよね。ただひたすらがっつり文章を書きたいだけの層には向かないような。私がはてなブログに帰ってきたきっかけでもあるところの若い語りたがりのジャニヲタさんたちが結局ここに流れ着いたみたいに。


承認欲求こじらせちゃったパターンについてはまた後日。正直こっちこそ書くネタが大量にあるのでぐちゃぐちゃ考えようと思います。

あともう一つ書きたいテーマがあって、これは前々から積んでるもので、属人的であれ団体としてであれ何らかの物語を消費することの話を書こう書こうと思っていて、くだんのSMAP×SMAP見て予定早めようと思ったんですがいまだにまとまっていない。

*1:女性なら概ねジャニヲタかバンギャロキノン女子か宝塚…はちょっと状況が分かりませんが、まあだいたいそういう

*2:ライブドアブログヤプログは古くから個人ブログの形で持ってる人にたまに見かけますし、サーバー内にブログを置いてそこで書いているという例も時々あるのですが、少なくともはてなブログはほとんど見たことがない

大きいことがいいことかどうかは分からないが少なくとも大は小を兼ねるよという話

この間TLであさっぱらからチケ代についてがTLをにぎわせていまして。
この記事www.warawareotoko.com
が発端なんですが、先日書いたブログを貼ったところ何人かから反応をいただいたり、フォロワーさんが、あるバンドについて「行ってみたいけど中途半端にチケ代が高くて行きづらい、という感想を見つけた」という感想があったことを教えてくれたりしまして。メタル系なんですけど、普通のメタルバンドから考えたら中途半端にチケット高いよなあ確かに。
で、それを見てさらに考えた。
そこから思い至ったのは、V系特有の問題でした。何かというと、Tシャツが売れない。

チェキ、という文化があります。
…ってつらつら書こうとしたけどあれだ。女子地下アイドル界隈でよく行われているアレです。で済むな。
若干の差異としては、基本的に「チェキ」というワードで指すものは物販に置いてあるものです。界隈でいう、くじ引きタイプのランチェキですね。開場前にあらかじめ何十枚、何百枚をばーっと撮って、それを終演後の物販で売りさばく。名刺サイズのもので概ね1枚500円、バンドによっては1000円とるところもあります。1000円で売ってるバンドでも大きいサイズのフィルムを使ってるところがあって、それはまだ良心的なほう。たまにレア感を煽る演出として、写っているメンバーがサインや落書きを入れていたり、何枚かに一枚当たりを仕込んで、そのチェキを引いた人にはなにがしかの特典、例えばグッズ*1や私物のプレゼント、はたまたメンバーと一緒にチェキが撮れる権利、だとかをもらえたり、対バン相手と一緒に写っていたり(チェキを普段置かないバンドが相手だとレア度はさらに跳ね上がる)、みたいなものもあります。どうやって手に入れるか、は、基本的には物販に行って「n枚ください」と言って箱(フィルムの入っていた箱など)からその枚数をランダムに引く、という形式が多いんじゃないでしょうか。私が見聞きする限り、希望の写真を選ぶということはできません。運が悪いと何十枚と本命の写真が出るまで追加したり並びなおしたりして引き続けるという羽目になります。ただ、買いたい人は多数いるので場合によっては枚数制限がかかっているのと、そこまで予算を潤沢につぎ込める人がどのくらいいるのかという話で、だいたいはその日の予算上限まで引いて、あとはほかのメンバーが好きな人とトレードして集める、という方法を取って集めるというのが主流じゃないでしょうか。
こうやって書くとパッケージガチャ*2っぽいな。差異としては一人で箱からすべて引くわけではない、というところか。

で、だ。私はこのチェキ文化の発祥がどこからかは寡聞にして知らないのですが*3、電脳オヴラアト*4の解散ライブで初めて買った記憶がある。1回目の解散ライブだと思うので2000年代半ばだったと思います。同時期に行ってた人格ラヂオはなかったんですよね。そんなものがあったら悠希がMCでネタにするのを聞いてるはずだし。これも同時期に行ったハッチというバンドでも買ったような記憶がある。正直記憶がおぼろですが。
まあ、でも、それらを考えると、2000年代後半、およそ10年近く前頃、には規模の小さいバンドでは始まっていたんじゃないかなと思います。チェキを売るのは往々にして規模の小さいバンドですが。

ここでやっと冒頭の話、Tシャツが売れない、に戻ります。
これもまた規模の小さいバンドあるあるなんですが、客がとにかくTシャツを買わない。バンドTがとにかく売れない。
それこそ池袋のCYBERだとか高田馬場のAREAだとかでやってるような対バンイベントを見に行くと顕著だと思うのですが(最近行ってないので断定はしない)、客席にバンドTを着ている人自体が少ない。冬場はともかく、夏場でも普通のカットソーとかです。逆にバンドTとか着てると、なんであの人あれ着てるの?くらいの感じある。
Tシャツ買わない理由自体はここでは(本題でないので)さておいて、ここで、だいたいどのバンドの物販にもある主力商品が売れない、という問題が発生します。
ここからは卵が先か鶏が先か的な話になるのですが、チェキみたいな小銭稼ぎが生まれたのもそういうものが背景にあるんじゃないかなーと思っていますし、界隈のチケット代がほかの系統に比べてどうにも高いというのも、その辺にも原因があるんじゃないかなあと思います。前の記事の箱問題もそうだし、物販が単価の低いチェキしか売れない、であれば、じゃあ少しでも採算をとるために、とチケット代に還流される、となっててもおかしくはない。全員ラババンと缶バッジとステッカーしか買っていかないみたいな状況だし。

チェキってこう、複数枚買うことが多いうえに、一度チェキ(機械)を買ってしまえば、本体代のもとを取るまで使えばあとは完全に仕入れ代金はフィルムのみになるので、なかなかボロい商売みたいな言われ方をされがちですし、実際写真撮るだけの手間なのでそこそこボロい小銭稼ぎではあるんですが、それでもやっぱり単体で見ると1枚売ったところで売り上げは500円を超えないんですよね。Tシャツ売るより利益の比率ははるかに大きいのですが、ただ比率はどうあれ実際の額面が問題で、原価500円ほどで作ったTシャツを3000円で売ったら、同じ額の利益をまかなうとしたらチェキ5枚は売らないといけない。全員が一人当たり5枚10枚買っていけばまあそこまで問題もないのでしょうが、客全員に5枚いきわたらせるほどの量を取るとなるとすごく時間がとられるし(前に撮ったものの売れ残りを混ぜて枚数を嵩上げするという手法を取ってる人たちもいると聞いてる)、廃人はもう何十枚レベルで買っていきますが*5私みたいに3回中2回くらいは2~3枚で済ます客もいるので、あまり楽ではないよなあ。そらチェキ屋さんとか呼ばれる*6わ。

ここまでつらつら書きましたけど、これ自分が見聞きした範囲の印象でしかないからいろんな人に聞いてみたいなあ。
あと個人的に気になるのは、チェキ買う人って、次のライブからチェキ廃止しますってなったら物販で他のものって買うんだろうか。その分インスト行くためのCDとチケットに流れそうな気はする。
あと、ギターロック畑でもたまに、棒立ちっつったら失礼ですけど、あまり動かずに曲に聞き入ってる系のバンドさんあるんですが、そこも他よりはTシャツ率低そうな気はする。言うてもV系マイナーよりははるかに高いけど。そういうところってどうしているんだろう。これも気になります。

*1:推しがいるバンドでは昔ビックリマンシールのパロディのようなシールを作って当たりの景品にしていましたが、最近その話をとんと聞かないのでどこかでやめたのかもしれない

*2:ソシャゲによくある、パッケージに一定の枚数のカードが入っていて、チケットを何らかの手段で手に入れて、例えば全部で50枚なら50回引けばすべてのカードが手に入ることになるというアレ

*3:自分が行っていたバンドでチェキを売る文化があったバンドというのがほとんどないので

*4:2度ほど解散して2度ほど再結成をした(2度目の解散以降追っていないのでその間にさらに増えたかもしれない)結果今は地元を中心にまったり活動しているらしいある意味ハードコア極まるバンド

*5:手元に何百枚だか1000枚近くだか、相当な量があったようなことを言ってた友人もいた。だいぶ人に譲ってその量まで落ち着いたらしい

*6:某中堅どころのバンドのメンバーさんが、チェキを売ってるバンドについてこう言及したそうで

隠れるとか隠れないとか

追記:1/22に改題しました。そしてタイトルに言及した1パラグラフを削除。

DAIGOさん北川景子さんご結婚おめでとうございます。*1
という何の脈絡もなさそうな前置きを置いたのはスターダスト時代に見たことがあるよという話をしたかったわけではなく、ツイッターのフォロワーさんの下記のような内容のツイート

北川景子が以前自分のことを雑誌のインタビューで「腐女子」と自称しており「腐女子の本当の意味も知らないで!」と叩かれた事案があったが、今にして思えば義理の姉が影木栄貴なんだから腐女子の意味知らないわけがない

…がえらい拡散されていたのを見て、そういえばそんなことあったなと思いだしたからです。
というわけで今回のテーマは、腐女子をオープンにするかしないか系のあれ。
この手の議論っていつもなくなることなく起こっていて、例えば、直近で見たやつだと、最近、というか少し前におそ松さん考察をはてなのどこかのサービストップで見かけて以来読んでるブログがあるのですが、そこでもちょうど何度かネタになっていて、それがこの記事
http://bkyd.kill.jp/bkyd/?p=198bkyd.kill.jp

なんですが、私基本的に(面白いなと思って読んでるので)意見の大半には同意だしそういう理由において隠すというのは嫌なんですけども、更にリンクで言及されてる2.5次元以上については先日一部で話題になってたワンダイレクションのメンバーの話を漁ってからもう一度ご意見伺いたいですって感じです。
ワンダイレクションの事案というのはだいたい以下の内容。




ツイ消えた場合に備えて書いておくと、

・ファンフィク隠さない文化であるところの海外のナマモノ腐がおおっぴらに腐った結果、それを本人たちに押し付ける(本人たちが本当に恋愛関係であってほしいと要求する)馬鹿が出現した
(・メディアなんかもそういうファンフィクが存在しているけどどう思うか?みたいなことを普通に聞いたりした模様)
・結果としてメンバー間の関係は気まずいものとなり、特に当該メンバーたちはもともと仲がよかったにも関わらず今は目もほとんど合わせない状態になっている

といったような話。

個人的に、三次元の場合に隠れろ隠れろ言われるのは単純にBL趣味の立場がどうとかそういう問題ではなくて、「(ざっくりひっくるめると)オカズに使っているのを報告されるのがイヤな人もいるんだから黙っててやれよ」というレベルの話だと個人的には思ってます。オカズに使うことが悪いんじゃなくて、それをあからさまに本人に言うのは相手を選ばないとダメだろ、という話。
まあそういうと、本人がどう思ってるかわからないだろそれをどう判断するんだ、という反論が出てきてほら意味不明なルールに従ってるだけだろという話に発展しがちなんですけど、単純に実社会で考えてみても、一部例外はともかくとしてそれを直接本人に報告するような社会ではないじゃない?という話で。
二次元のキャラクターなら(作者がどう思うかとか他のファンがどう思うかとかそういうのはさておき)オカズにされたところで傷つくこともないけれど、三次元の存在だとそれを明確に告げられた時に拒否反応を起こす人は必ずいるでしょって話です。先の記事から引用して書くとするなら、「それで傷つく『当事者』が存在し」てしてるでしょ、という話で。
女の子相手に「君のことオカズに使ったよ!」と言って、それを面白がって聞いてくれるか拒絶反応を示すかは人によりけりだと思うのですが、どういう反応されるかもわからない、そういうことをぶっちゃけても引かれないだけの人間関係が出来てるのかわからない、とかそういう中でおおっぴらにあの子を使った!みたいな話するのか?という話で、それを本人がいる前でおおっぴらに出来てしまう人はちょっと人格疑うわ、と思います。まあせいぜいパブリックでそれが許されるのは居酒屋くらいじゃないかなあ。電車の中だと、酔ってたとしてもちょっとグレーな範囲な気はする。

西川御大みたいに自分の同人誌を買いあさるためにコミケに行きたがる(そして毎年スタッフに仕事を入れられて阻止される)くらいの人で、相手(にしている人)もそのくらいさばけているならむしろ公言した方がいいのかもしれませんが。コミケに本人来襲事件というのも過去に何件もありますしね。受ける側としては勘弁してほしいことこの上ないのだとおもいますが。*2
こういうのへの反応として他に過去耳にしたことのある話としては、クイズ制のサイトのクイズは当然本人なら解けるような問題でもあるので、それを突破してそれらに対する感想を述べたりした人とか、逆に自分の同人誌を目にして激怒した人とか、いろいろです。とっても余談ですが、後者の人はファン喰いが激しく、ついでに言うと自分の思い通りにならない状況が多分嫌いです。そういう人にとっては自分が誰かを使うならともかく誰かに使われてるなんて耐えがたいわなあと思わなくもない。

ただ、BLの場合ことさらにそれが強調されるというのは、先の記事にある圧力みたいなものを感じざるを得ないので、他の女性芸能人あるいは自分との恋愛妄想あるいは性的妄想の類、それから女性芸能人同士の百合妄想も同じ程度には配慮がなされるべきだとは思いますけどね。
twitterでもフォロー関係のある人にこの手の妄想をよくする人がいて、一応目に触れるものは大丈夫な方向性のものなんですけども、気持ち悪いものはほんとに気持ち悪いですからね…。

話が若干飛ぶのですが、ここまで書いて一つ思うのは、だいたいこういう論を展開する人って(twitterだのpixivだの、全世界公開を大前提としたツールが増えてきましたよねみたいな言及はまた別ですが)、いざ自分が「君を性的な対象として使ってるよ!」って面と向かって言われたら激高しそうな人が多いなあという印象があります。先に言及したブログ主さんに関して言えば相手によりけりな気もしますが。特定個人がどうこうという話ではなくて、全体的な印象として。
それ自体はとっても自然なことだと思うし(私は相手によります)、それを受け入れろと言いたいわけじゃなくて、私が言ってるのは単に自分が言われて嫌なことをなぜ人には受け入れろと言うんだい?という話です。逆に自分が平気だからって人も平気だとは限らないぞ!という話でもあるのですが。これは先に挙げた、じゃあ男女もの(いわゆる夢に該当しそうなやつ)とか百合ならいいのかっていう、逆方面の問題ですね。

まあ私個人としては思考停止して「隠れなきゃいけないから隠れるの!常識だから!(逆もしかり)」という手合いが最も問題だと思ってるので、どんな結論であれ議論してる人たちはその分心ある人たちだと思ってます。どう決着するかはまた別次元として。

という、元三次元読んでた腐の感想でした。

*1:この記事を書き始めたのは14日とかそのくらいでした

*2:少なくとも朝から万札出しちゃ駄目だと思う

大きいことはいいことだ?

今日のお話は、なぜV系は(実動員考えたら正直無謀な)キャパ上げをしたがるのか、という話。
本当に最近よくわからなくなったので真剣に人の意見も聞きたいんですけども。昔は結構疑問なく受け入れていたというかそういう学級会好きだったんですよ。

ライブハウスのスケジュール表、あちこちの箱で帰りがけにもらうアレです。それこそO系列のなんかを見ていると、まあEASTとかちょこちょことV系盤のスケジュールが入ってるわけです。ツアーファイナルとかそうでないところとかで。でもいざ実際行ってみるとソールドしない、しても消防法上かなり余裕のある感じ、または一部エリアを潰してのソールド、みたいなことが多い印象がある。あくまでも体感です。
先日推しがいるバンドが関東近郊の結構大きな会場*1でライブやったんですけども、自分自身は前記事の理由+αで面倒くさくなって行くのを放棄したのですが、外側の見切れ部分を潰してもなお全体的に余裕があり後方はスカスカだったという状況の情報がツイッターのフォロワーさん各位ならびに友人たちによりもたらされました。夏に同程度のキャパの箱でやったときは、撮影機材を入れるという名目で後方の段差の上を綺麗に閉鎖していたんですが、聞いてるとその時の方がましだったという意見が散見される。
実際の入場者数がどの程度だったかは知りませんが、いろいろ特殊効果というか生火とか使ってたらしいので回収できてるんでしょうかね。下衆な話ですが。

まあこれは代表例ではないにせよ、某雅さんの武道館(あのアリーナ部分まるまる潰すセット組みたさに無茶キャパにしたのかそれともセット云々は後付なのか議論が分かれるところですけども。でも座席が変更になったみたいな話は聞いたことがないので、もともと2階以上のスタンドにしか人を入れない贅沢な使い方をする気だったのかもしれないとは思います)みたいな話もありますし、一般発売してほどなくソールドするようなキャパという例の方が少ないような。ソールドアウトしてもその実かなり余裕をもって組んでるみたいなパターンもありますしね。

客の側にも、大きければ大きいほど良いという志向はあると思います。特に90年代のバンド、それこそ30半ばくらいならだれでも名前を知っているようなバンドを好きだった層が顕著なんだけども、2000年代初頭くらいまでのバンドのサクセスストーリーを見ていてそれを求めている気はする。ツイッターなんかでも、最近のバンドはどうしたら売れるのか会議みたいなことよくやってるしな。例えばこういうのとか。
matome.naver.jp

togetter.com

フォロワーさんとかフォロワーさんのフォロワーさん(これが一番多い)が非常に多い学級会で、何が言いたいかというと発端層は概ねいわゆるオバンギャです。30代overがほとんどかな。自分も含めこの世代はヴィジュアル系的サクセスストーリーというものを見てきている世代です。それこそ20代で東京ドームを成し遂げたLUNA SEAであるとかデビュー前に武道館やったりTVに出てお茶の間に強烈なインパクトを残した*2Dir en greyであるとか最近復活が一大センセーションになったPierrotであるとか。そら懐かしむし言ってみれば黄金時代だし、この時代に戻れるものなら戻りたいと思う。ここまで行ける規模のバンドが出てきてほしいと思う。だからこういう学級会も盛んだし、何より楽しいですよね。好き勝手なこと言えるし。
全然関係ないけど、上の段落の途中に売れて売れて今、って書こうとしたけどその後意外と語呂がいいのが続かなくて何でこんなこと真剣に考えてるんだろうって思いました。それはともかく。
もう一つ考えつくとしたら、男性より女性の方が接触に敏感だからかなとは思います。いくら90年代盤の過酷なまでの圧縮に慣れている上段落のような層の人たちだって、ゆっくり空間を確保して見られるならそれはそれで快適だと言うと思うんですね。どちらが好ましいかはまた個人の好き好きですが。

で、バンドの側について。なぜ大きな箱を好むのか、という問いについての答えはまったく出てないのですが、早めに入れ物だけ押さえる、というのもひとつにあるのだろうなと思っています。うっすら聞き及んだところによると、今ライブハウスって結構早くから押さえておくものなんだそうで。1年前から押さえておいたけど実動員がそこにおいついていない、みたいなことは起きうるんだろうな、とか。
一年やそこらでそんなに動員上がると思ってるの?という素朴な疑問があるのですが、箔付けとかそういう意味もあるのかなとも思います。自分たちが/うちの所属バンドがこんな大きな会場でライブやったんですよ、という。

違う界隈だと逆のパターンが起こりうるんですよね。最近ギターロック系のバンドが急激にどかんと売れるパターンが多いですが、しばらくその状況においつかない感じで、そんなキャパの箱じゃすぐ売り切れるわ!と言いたくなる会場選択が続くことがままある。替えられなくて仕方ないということではなく、能動的に、あえて絞っている、ということも考えられなくはないですが。たまに小箱の空気感、客席と近い感じ、そうしたものを重視して(あるいはプレミア感を出すためにかもしれない)頑としてまったくファンの規模に見合っていない100人、200人とかそういう規模の小箱しか使わず*3、その結果発生したチケットの利益目的の転売を取り締まるためにチケットの本人確認を導入するというマッチポンプなバンドもいますしね。

まあ先ほどうっすらdisったバンドについても、さっきの話しの裏返しですが、今あちこちのライブハウスは大きな事務所とかが一年以上前から押さえている状態だと聞くので、直前で空いてるところを探して、ってやっていくと僻地や小箱にならざるを得ない部分もあるんだろうと思うので、仕方ない面もあるのだとは思うんですが。

ただ、大きな会場って、それなりの良さや便利さがあって使いたいという気持ちもわかるのですが、多分経営面だけ考えてたら悪手なんじゃないかな、とも思います。ホール公演が赤字になりますみたいな話はよくツイッターとかで流れてきますが(そもそも使用料が高い、PA機材等持ち込みの場合が多い、演出用の機材も使うならさらに費用がかかる、etc)、料金が高くて売り上げ枚数が厳しくなるかもしれないところより、多少狭めでもノルマをきっちり達成できて、超えた分がバックとして入るようなところの方が実入り的にはいいんじゃないかなと勝手な心配をしてしまうわけです。実際、特にラウド系とかでライブの本数が多い人たちは、そうやって小箱を回ることが多いですしね。

ここから下はまた話が変わってしまうんですけど、界隈は着券率がどうもよくないという話は(推測も含め)あちこちでなされていて、それをたとえば特定のライブだけでも数字として出した人は私は寡聞にして知らないので、だからこの手の議論は状況証拠を並べたものでしかないんですが。
それでも、単純なロジックの問題として、最前*4に入れる番号を揃えようと思ったときに一発でそこまでの番号を引けるほどの強運の持ち主はそうそういないし、いたとしても毎回発揮されるわけではない。そうすると必然的に、下手な鉄砲数うちゃ当たる式に手元に来る枚数を増やせばその分確率は上がる。かくして複数買いが発生します。それでも出なかったら、同じ考えの人や都合が悪くなって行けなくなった人、場合によってはオークションで出されている自分より早い番号のチケットを買う。この時点で手元には複数枚のチケットがダブついています。これだけダブついたものを一気に譲りに出していれば必然的に、譲りに出ていれば少しでもいい条件のものが選ばれていって遅い番号のものは残っていくので、遅い番号だと条件を少しでもプラスにする、つまり値下げしないと売れなくなる。そこまでしても、買いたい人の人数と見合わなければ売れ残る。運営側がそうやって無駄になる枚数をどこまで織り込んで発売枚数とか当日券とかを決めてるのかは知りませんが、まあ何枚かを紙切れにした状態で来る人は一人や二人ではないですよね。だから着券率が悪いであろう、と言われること自体はむべなるかなという感じ。

着券率問題とはあまり関係はないのですが、値下げしないと売れない問題については、どこかで読んだ中に「良席に積むことを批判してる人の中にも、悪い席の譲りだと値下げを求める人がいて、でもそれ(悪い席は値下げ)が良席には積むという価値観を作り出してるんじゃない?」ということを言ってた人がいて、まさにその通りだと思うわけです。この事案の場合はどちらかというと話が逆で、積んだ結果遅番は値段がどんどん下がっていくという状況なんですけども。
だってそのチケットの市場規模を超えるような枚数を出させておいて売り切れるわけがないし、超えなかったとしたって、チケットが売り切れていないとしたら、まだ残っている以上どこを重視するか?になってしまうわけで。
チケットを譲ってもらう側、買い手の側からしたら、見ず知らずの人と連絡を取り合って金の話をして個人情報のやり取りをして、って結構な負担だし。どうしても先行のチケットじゃなきゃ嫌!って人が取り損ねた場合ならともかく、最初の先行で申し込まずに一般発売を待つ人って、そういう面倒なやり取りをして赤の他人から少しばかり番号がいいだけのチケットを買うくらいなら一般*5で買った方が多少遅いけど気は楽だわ、って考えの人が多いと思う。ソールドしてないなら当日券もまず出るわけだから、なんなら当日まで行くか行かないか迷ってから決めることができる。
私の知る限りで複数買いを(頻度の差こそあれ)やる人は大体「今回は赤字だわーw」などと冗談めかして話していたりしていて、ある意味必要経費と割り切っているのだろうと勝手に推測してるんだけども*6、これが本当になんで売れないんだ?とか、何で値下げしないといけないんだ?と思っている人がいたとしたら、ちょっと待てよ、とは思います。

話がそれましたが、逆にソールドしていたとしたら、行きたければ面倒であっても誰か譲ってもいいと言っている人から買うしかないわけで、そうするとキャパ上げも着券率の低下に一役買っている部分もあるのかもしれない、とも思います。

あとはすっごく単純な話で、キャパが大きくなればなるほどチケット高いんだよなー。
多分衣装代メイク道具代という他にないエクストラの出費があるということと、ライブ自体の回数も、決して少ないとは言わないけど多いと言えるほど多くもない。その辺のギャップを埋めたりするためにも必要なんだろうとは思います。が。一度上げたチケット代って戻せないから*7、足が遠のくときって「××に5000円払って1回行くくらいならご飯食べに行って
○○のライブ見に行ってトータル5000円の方が良くない?」にもなりがち。そして最終的にはそれにもついていける信仰心の篤い人たちしか残らない、という結果に…。


っていうかこれ書いてたらちょうど保険とか勘弁せえ系の話題が湧いたからタイムリーすぎる。

*1:公称キャパ1300人

*2:詳しく知りたい方は「残 Mステ」などで検索

*3:最近は大きいライブハウスのツアーもあるようですが

*4:イントネーション最↑前↓

*5:往々にしてほとんど出てないので先行の最後の方の番号とはあまり変わらない

*6:自分自身もやるときは持ち出しになるのもやむなしと思ってやってる

*7:たまにしれっと下げてるバンドもいるにはいる

中のひと

はてダの書き方とかも結構きれいさっぱり忘れ去っていたのと、あとブログは大体最初に中の人のことを書かなければならないというある種の強迫観念により、とりあえず書かんとしてることも含めてまとめ。

ブログの紹介にもあるとおり、しがないバンギャルというか、正確に言うとしがないオバンギャです。何歳からかは諸説あるうえに統一見解もなくて下手すると20歳超えたらオバンギャみたいな暴論もあるけど(二十歳超えたらオバサンって小学校5年生同士の会話かなんかか)、30代なのでまあそう自称しても問題はない年齢。とはいってもビジュアル系にくくられてるバンドには今ほとんど行っていません。この辺も書こうと思えば2エントリくらいは書けそうな話なので詳しくはそのうち書きます。一時期はラウド系のバンドによく行っていましたが、最近はVにくくっていいのか微妙なバンドをいくつか、ラウドから1つ、ギターロック村のバンドいくつか、みたいな感じで。

ライブ以外は普通に平日9時5時で土日休みの仕事をしている会社員です。あとは艦隊なんとかとか刀剣なんとかとか俺なんたらとかというブラウザゲーをやっていたりします。そこそこにオタクです。

次のエントリでは手始めに、この間久しぶりに仕切りのあるイベントに行ってどうのこうのみたいな話を書こうかなと思っているのですが、予定は未定です。あと冬コミ前だし。

はじめました、あるいはI'm back

はじめました。

帰ってきました、というのは正直なところあまり正確ではなくて、はてなダイアリーで日記を書いていたことはあるのですが、ブログはここではやってないのです。

 

この期に及んでブログを作った理由はいくつかあるのですが、一番大きかったのがアメブロをあまり使いたくなかったというところ。まだ生きてはいますし、バンギャルをやってる以上アメーバのアカウントはないよりあるにこしたことはないのですが、個人的にあまり使いやすくはなかったです。(特にアプリが)

 

ブログタイトルは、もともと雨の名前をつけたブログをずっとやっていたので、その流れでつけました。ざっと降って終わるのか降り続くのか。